炭鉱の抜け穴

不可解なことの覚書 チラシの裏

バルサミックムーン トゲトゲささくれ 71

2022/3/18

2022/4/21

2022/4/21

友達や知り合いを作るために、働きにいくひともいるのかもしれないけれど、私は生活の糧を手にいれるために働きにいっているのですな。

 

 

 

無理やりしたくもない仲よし演出のハッピー物語を強制されても、歪みや軋みが生まれるのを我慢しなくてはならないので、相手にとっても私にとってもしんどいし、仲良しの女友達が必要で相手にとってはもしかしたらそれがしたくない仕事のひとつかもしれないけれど、私ものぞんでいません。今までもそう言う事を頼まれた人がいるのかもしれないし、でもその頃はまだお互いに若くて、事情も良く理解できないし、色々負担が今以上に大ききし、私も友達が欲しかったけど、今はもうい年だし、色々少しは成長して、なけれは無理に作らなければいけないものではない、それていいと、そうすると返って害になると理解して知っています。そういうことはお互いにとって良い存在になることはありません。みょうえんにたいするヨーヘー君みたいなきもちになる。第三者の何か思惑があるのならやめてください。4/9  5/20

 

そう言う風に思えるのは過去に友達がいてくれて嘘じゃない心底の笑いを共有できた時間があったからだと思います。5/20

 

誰かに利用されるパーツみたいにされたって、私がいなくなればいいので、無理やりそうなったら逃げればいいのだな。7/5

 

 

だけどやっぱり本当は、きちんと償ってほしいと思うよ。

それでも、やっぱりそんな風にはならずに、個人の人権を大切にしてください。

話し合って、色々決めようね。
7/5

バルサミックムーン トゲトゲ ささくれ 73

 たとえば、それは、誰かにとって都合のいい筋書きに、ぽこんと嵌め込まれるパーツみたいに扱われることなのだ。それは、かつてのいじめ先生がまるで私にとって素晴らしい人であるかのように特別な席に座っていたり、見映えのいい甲子園でTVに撮されるような女の人で悪い人ではないのかもそれな私とは特に関わりの無かった人とか、いわゆるふれねみーとかになってしまったかつて友達でいられたらいいなと思っていた人かをおもてなしするショーを私にとって押し付けることになるんだろうなって。

どう考えても善意からでもいいわけ考えて楽になろうとした人が考えるそれは私にとってそう言うことを連想する。新しい場所に変わっても相変わらず影で起こる嫌われとるンよというほのめかしと嘲笑いは、目新しいことではなくて、同じことが繰り返しされてきたことで、私にとっては今さらなのだ。

別に嫌われていても、私が個人的に連絡をとれる人はその人達しかいないし、関係か変わるものでどうなるかわからないけれど晴れの時だけでなく人生最悪みたいな時も繋がりをもったくれたひとで、結婚式と披露宴はほぼセットで私はかたるけれど、現実で関わりがあって紹介したい人を一度にみんなに紹介できる機会と言うのを読んでそうなんだなと定義づけて。

私も人並みに綺麗なドレスとか憧れがあるから、自分のベストか自分で選べたらいいなと思うし、せめてブーケとかだけでもこれって言うの作れて持てたらたらいいなと言うのが、今の私のうれしいと思うことです、はい。

 

04/05 (火)

バルサミックムーン トゲトゲ ささくれ 72

今日も嫌われとんとほのめかしがあった。味方なのか敵なのかもわからないひとだけど、だからなんだっていうのだろう。そんなことはしらないが、どうしてこんないやなめにあわなくてはいけないのだろう。

 

わたしずっといやなおもいしてきたから、子供の時からずっとなんかいやなおもいしてきたら、もしも本当に結婚したいひとがあらわれて、結婚式をするとしたら、こんな目に遭わせてきた奴らに利用されるのだけはいやだから、もしも本当にけっこんすることがあったら、小さい幸せな誰かに利用されない結婚式がしたいよね。

だからいいわけ考えて楽になろうとした人たちはいい人たちかもしれないけど、私の結婚式なんて見る資格も祝う資格もないし、すごーく嫌だったよって言うこと、そんなことしないよって伝えるしゅだんだから、そんなことしてなんの得があるのっていわれても、やっぱり本当にすごーく嫌だったよて、伝えるためにせめてそれくらいの仕返しは、したいよね。なんのダメージも相手に与えなくてもね、せめてその人たちにその事いいたいよね。わかってほしいよね。いいたいことうまくまとまらないけど。私あんた達の失敗したくないショーのパーツじゃないよ。じゃあね。バイバイ。それはやめてね。

2022/4/8 18:58

 

バイバイ、サヨナラいんちきハッピー物語。

19:03

 

そうそう、嫌われとん?と気にしてほのめかしてきたけれど、その対象として、私がそうかなとおもったひとが、そのひとならば、ほぼ初対面で、その人がなんかい、私に聞こえよがしに、頭が悪いっていったか、嫌われとんよっていったか、ほのめかしたか

しっていますか?

私がその人の事、好きだと思いますか?

20:39

 

友達や知り合いを作るために、働きにいくひともいるのかもしれないけれど、私は生活の糧を手にいれるために働きにいっているのですな。

 

本当の友達っていうのは、結果的にそうなった人と、龍の本にこの前の読んだ時に読んだのですな。私もそうおもうのですな。

 

音楽も好きな曲を楽しむために聞きたい曲を聞きたい時に聴きたいように聴きたいのですな。クラスメイトと話をあわすためにとか、流行に遅れないためにじゃなくて。そんなこと、学生時代にもしなかったけど。たくさん聴いたから好きになるというもんでもないですな。有線でかかり続けてもそうなることはないです。

2022/4/9 8:02

 

それはプライベートなことで、自由の許された領域ですから。

 

バルサミックムーン トゲトゲささくれ70

 どうしてなんだろう

 

まったく無関係のミュージシャンにネタ拾いのパクリ対象にされて嫌がらせの加速も起こった様です。それらの人々とはなんの接点もありません。マスコミ、メディアを巻き込み私がその歌手を好きだという誤解と偏見と勘違いの転がり続ける雪達磨に大勢の人達が巻き込まれた様ですが無関係です。パクリはあらゆる所でされました。

 本人の許可は取っていません。事実はひっくりかえってはくれません。  

 この問題以前に、どこかの機関にモルモット対象にされて利用されてきた気配があります。人権侵害ですが説明も謝罪もありません。勘違いしている人がいるかもしれませんがあらゆる機関からギャラなど一切もらっていません。

 わけのわからないまま不愉快ないやなことにかこまれつづけ、それでも一人でずっと頑張ってきた。本人には知らせず、だまして盗聴盗撮、恥をかかせてみせものにしてきた。無理解な傲慢な人間は私を馬鹿にする。ひどい目にあわせてきて人間関係を現実に築く努力もせず自分より弱い立場の人間を利用し踏みつけたまま相手に非を擦り付けて逃げないでください。

 私の今までの努力はたとえ無駄なことであっても他人に馬鹿にされ虐げられなければならないことではありません。やめてください。当たり前のことであるプライバシーを返してください。人間らしい生きていけません。

2022/4/8

 

 

得する!せこいひとびと

 

個人の人生を犠牲にして制作活動をしてきた人々。某マンガか、某小説化、某ミュージシャン、某アニメ製作者、某脚本か、某テレビきょく、某映画関係などなど

 偽善の皮をかぶって正当化してきたのかもしれないが貴方がたのしてきたことは犯罪であり罪である。楽な方に流されて安易にタブーを侵し続けたけた人々。特に教育者で子供をターゲットにしてきたもの。

 2022/4/8

バルサミックムーン トゲトゲ ささくれ 69

もしも、私が結婚をするとしたら、式は親戚とか、昔馴染みの現実でいままで細くつながって結婚式に呼んでくれた人とかの細やかでいいので、なにか外堀を埋めてたくらんだりはしないで、二人で相談して色々決めようね。目立ちたいなら、他で十分かなうとおもうから結婚式は何かに誰かに善意からでも利用されるのではなくて、自分達らしく幸せなのにしてね。2021/07/27

 

昔、似たような状況になったとき、私はかも葱かも葱と、ささやかれていたので、また同じような事が起こるのかと思うととても警戒するし、恐いのです。2021/07/27

 

子供の頃には出版されてなかった魔女の宅急便の続きの話を最近読んで、その中のエピソードに、じゃあ私っていうのはどこにあるんだろうというのがあって、それは思い出の中だと気づくのですが、自分のことも重ね合わせてよんでいました。

話はアニメのイメージとも違って、キキはキキとしてそんざいしていました。

色々思うことはあるけれど面白かったです。2021/07/27

 

 

このところ二ヶ月以内にTVを見ていたらあの女(ひと)が映ったから、一度目は離れて、二度目はチャンネルをかえた。以前とても失礼だなと思うことがあり、それ以来見ないことにしている。別に気を付けなくても接点がないので見ることもなかったが、日曜日の午後、いつもつけられっぱなしの番組と、私が比較的よくみる番組のゲスト出演だった。

 

この前『ムーラン』のドラマを観ていたら「偽を真にすれば真は偽とになり、真を偽にすれば偽は真になる。」という言葉がありそれを思い出す。

 

2021年の私の漢字は、亡で、他の候補もあったけどどんな言葉があるかなと連想していて、逃亡、滅亡、亡命…。やっぱりこの字かなと思う。なんか色々思い出さなくなった。

 

前は、その人を見て連想する人に対して、周りのみんなにとって五足で千円の靴下でも、その人にとっては特別な価値があったこともあったのなら、犠牲にすることでその事によって自分の生活を守り繁栄をもたらしたことがあったのならその価値の分だけは支払ってくれたらいいなとよく考えていたけれど、なんの音沙汰もなく、その事ももういつの間に考えなくなっていた。

 

ある日、誰かの読んでいた広げっぱなしの新聞の記事が虫の知らせのように目にはいって、私にとってはもう亡くなってしまったひとだから、いつか新聞で死亡の記事に気づくようなことがあったら、既視感を持って、眺めるのかな。

 

『あなたの事を好きだったこともあるよ。僕は脱け殻だけ置いていくよ。』頭の中をブームの曲が流れるかな。2022/01/11

 

 

 

今日は久しぶりによく覚えている夢を見て、とても綺麗な音楽が聞こえてきて、見たらトムくんがレコードをかけていて、古い名曲のクラシックのレコードみたいだったけど、色々借りてきて楽しんでいるとのことだった。近々名曲が誕生するのだったら喜ばしいので記念に記入。01/26 (水)

 

バルサミックムーン トゲトゲ ささくれ 68

思いつくまま

 

  もともとないかもしれない可能性に、自分でとどめを刺さなくてはならないかもしれないのはとてもつらい。

 それ以外でも、コロナワクチンの副作用に合うリスクは、私は健康診断の結果を見ても高いほうに分類されるから、万が一ということはなかったとしても、ないとは言い切れないから、その時は、何か私に残されるものがあるとしたら、それは、遺伝子組み換えや操作をされたワクチン以外のコロナ対策の費用に充ててもらおう。私の犠牲で、何かの損失の穴埋めをしようなどとはしないでほしい。だから、いつか書こうと思っていたことと、書かずにはいられないということを言い忘れたまま終りになってしまったら、いいことでも悪いことでも、どうでもいいことでも、それはそれで、心残りかもしれないので、思いつくままに急いで書いていこう。

    副反応対策にいろいろサプリなんかも、飲み始めたけれど、食品添加物に注意を払う人々が、どうしてコロナワクチンの添加物には無頓着に盲目的になるのだろうかと思うワクチン奨励に唖然とする。サプリではなくても、日本人だったら、緑茶を飲み、わかめ入りのお味噌汁、玉ねぎをたくさん食べることで摂れる成分もあった。気休めかもしれないけれど。原爆が落ちた時に病院の治療で、玄米とお味噌が有効だったと聞いたことがあるから、それらもいいのかな。砂糖は絶対にいかんぞはつらいな。

 今は大変だけれど、10年後には?出生率の低下が問題にされている一方で、どうして子供が生まれなくなってしまうリスクのある国にしようとするのだろう。

 

 

 生活のために、あきらめなくてはならないのかもしれないけれど、そうなる前にタイムリミットが来る前に、可能性があるなら残っていてほしいし、何らかの現実の答えが欲しい。回し続けて、やめられない占い。ナイアガラの滝に向ってゆっくりと進む大分水嶺が目前に迫っている気持がして、私は、こちらからは連絡が取れなくて、よく占いをする。相手の気持ちが熟すまでとか、今はまだ先とか、出るとそうかなと思うけれど、具体的なことは先でも、目前に迫る日に、打たなくてもいいようにできればいいと願ってしまう。

 

 昨日2021/6/4にMVが、公開されて、とても素敵ないい曲だった。けれど、昔、同じような歌詞を歌っていた曲を思い出した。調べたら、2003年に発表された曲で、もうそんなに経っていたのかと驚いた。少し前のような気がする。もう17年も前の曲になっていた。その曲を思い出すと、私は、一人ぼっちで周りからは切り離されて、一人電車に乗って揺られているのを思い出す。何も悪いことなどしていないのに、四面楚歌で、孤独で、そんな中で、遠くにいる味方みたいな存在があるのはありがたいが、同時にそれ以上の大変な目にも合っていたのだと思う。悪いことは、なんでも私に紐づけされて、何をしても、許されるというような。私の知らないところで。

 それに、口をつぐんだほうが(今ここで書くけど書かなくても)いいのにという思いが沸いていた。それだけ、作品として昇華されてたら、どれだけ、その歌詞の中の感情が事実だとしても、現実で行動に起こすだけの、何かは残っていないだろうし、それにそれは決して、現実にはならないことを前提とした、そのころにはいろいろ積み上げて作り上げたたくさんの大切なものの場所へ帰るところのある人の、責任を取らなくていい場所にいる人の、私にとってはそういう歌だった。留まれぬ芝居の皮膜春の夢(2021/5/10)に作った句だけど、そういう歌だった。その一瞬はじじつかもしれないけれど、ここにはとどまれなくて、帰るべき現実に戻るところのある人の。『自分が損しない程度の施し』で、すべてをまるくおさめようとしたひとの。それはその人だけではないけれど。使い捨てだなって、知らない誰かが、私を見てほのめかしていく程度に。私が何か声を上げたら、私がおかしな人になってしまうそういう場所にいた。かつて、マイナスのところから、0のところに引き上げてくれたこともあって、それから先、また月日が流れて、マイナスばっかりこれから先は数えてしまいそうになるから、それは悲しいから、終わりにしようと思っているうちに、本当に終わってしまった。『シャミナミ』みたいな感じって、こういうことかなって。そのころはまだわずかに未練がましいところが残っていたので、随分と引きずっていたんだなと思う。うん、でも、それはなんか、もういい。なんか、ある期間の記憶ごと、ごっそりいろんなものが抜けてしまったみたいだ。なんか、星の配置を見ていたら、出生の星図の星の年齢域の相手の土星と、私の火星が合になっていて、もう終わりって、本当に土星先生から、もう時間です。けじめをつけなさい、終わりです。そういわれているような、そういう時期なんだなと思ったら、笑ってしまった。

 

 でも、昨日の曲はよく聞いたら、似たところはあるけど、ラストはちがう気がする。明るい光のさす未来に向けて開いている曲だと思う。相手にCD買わせてプロポーズした気になるなよと思ってしまう点は、やっぱり共通しているけれど、作品としては、それだけの価値があって買ったので。違うのは、もともとない希望に向って、夢と理想を歌うのではなくて、タイムリミットがあるから、結論を出してくれるのが早いといいなと願ってしまうけれど、いついつまでも、幸せに暮らそうね、という明るい未来がえがけるところ。私がしたかったことって何かなって、考えられたところ。安心していられるところ。いつか自分のアトリエをもって絵を描きたいなという夢を思い出したこと。空想の、メルヘンな。未完成なのに、勝手にさらされて、笑いものにされるのではなく、自分で納得がいって、それから発表できる。そんなのは子供じみたものかもしれないが、ある画集を眺めていたら、世知辛い世の中で大人になって、そういう世界を描けるのは大切なことなんだと思って、描いているのを知って、なるほどと思ったこと。2019年の3月に『国立トレチャコフ美術館所蔵ロマンティックロシア』を見に行って、その時に日の当たる庭でジャムを作っている老夫婦の絵《ジャム作り》1876年の作品があって、解説を読んでいると随分と酷評をされていた。特に重要性のないなんの価値もない絵というような。ならどうして飾ってあるのだろうかとも思うし、どうしてこんな風にかかれているのかよくわからなかった。歴史的に重要な場面ではないかもしれないし、ドラマティックで美しい場面ではないかもしれないが、もしかしたら、戦火を潜り抜けて生きてきた歴史があったかもしれないし、平穏な人生だったかもしれないけれど他人にはわからない困難を乗り越えて、しみじみと人生の晩年を愛する人と日常を愛おしんでいる姿かもしれない。ずっと前に、幼稚園児くらいの子供が、道行く人に人生は川の流れで例えるとどのようなものですか? だったかな、インタビューするのをテレビ番組で見て、その時広島の年配の女性が映って、ごく普通に幸せに生きてきた人に見えたけれど、その人のいう大変は、決して重くは聞こえなかったけれど、子供時代を広島の戦後の都市部に生きてきた人なら、本当に想像もつかない一言では言えないものだったのだろうなと思って、そのこともなんか思い出していました。後で美術展のホームページを見返したら、その時の解説はなくて、私が思ったのと同じような、そのとき読んだのとは違う解説が紹介されていたけれど。相手のほうが、いろいろと選択の余地があって、必要とされて、求められるものも背負うものも多くて、精神年齢はともかく生物的な年齢は差があって、優しいので結局周りの言葉を優先してしまうかもしれないけど、実際そういう人はたくさんいて、某掲示板で憧れを書き込んだ人の後に、光が強ければ影も濃くて、その陰がどこかにあるよと知っている人の書き込みを見て、私はそこを知っていて、そうでないといいなと思ってしまうけど、でも、みらいなんてわからないけど、わずかな時間でも一緒に過ごせた時間が合ったらいいなと思えたからそうだといいなと思う。もともと私が乗っているのは、一人乗りのちっこい手作り感満載のカヌーみたいな乗り物かもしれないし。世間も、一人ぐらいいなくなってもどうとでもなるのかもしれない。に分類されるのかもしれない。でも、私が私の人生をそういう風に扱ってしまってはダメだと思う。そうしないと辛すぎていられない時もあるけれど。