炭鉱の抜け穴

不可解なことの覚書 チラシの裏

バルサミックムーン トゲトゲ ささくれ 68

思いつくまま

 

  もともとないかもしれない可能性に、自分でとどめを刺さなくてはならないかもしれないのはとてもつらい。

 それ以外でも、コロナワクチンの副作用に合うリスクは、私は健康診断の結果を見ても高いほうに分類されるから、万が一ということはなかったとしても、ないとは言い切れないから、その時は、何か私に残されるものがあるとしたら、それは、遺伝子組み換えや操作をされたワクチン以外のコロナ対策の費用に充ててもらおう。私の犠牲で、何かの損失の穴埋めをしようなどとはしないでほしい。だから、いつか書こうと思っていたことと、書かずにはいられないということを言い忘れたまま終りになってしまったら、いいことでも悪いことでも、どうでもいいことでも、それはそれで、心残りかもしれないので、思いつくままに急いで書いていこう。

    副反応対策にいろいろサプリなんかも、飲み始めたけれど、食品添加物に注意を払う人々が、どうしてコロナワクチンの添加物には無頓着に盲目的になるのだろうかと思うワクチン奨励に唖然とする。サプリではなくても、日本人だったら、緑茶を飲み、わかめ入りのお味噌汁、玉ねぎをたくさん食べることで摂れる成分もあった。気休めかもしれないけれど。原爆が落ちた時に病院の治療で、玄米とお味噌が有効だったと聞いたことがあるから、それらもいいのかな。砂糖は絶対にいかんぞはつらいな。

 今は大変だけれど、10年後には?出生率の低下が問題にされている一方で、どうして子供が生まれなくなってしまうリスクのある国にしようとするのだろう。

 

 

 生活のために、あきらめなくてはならないのかもしれないけれど、そうなる前にタイムリミットが来る前に、可能性があるなら残っていてほしいし、何らかの現実の答えが欲しい。回し続けて、やめられない占い。ナイアガラの滝に向ってゆっくりと進む大分水嶺が目前に迫っている気持がして、私は、こちらからは連絡が取れなくて、よく占いをする。相手の気持ちが熟すまでとか、今はまだ先とか、出るとそうかなと思うけれど、具体的なことは先でも、目前に迫る日に、打たなくてもいいようにできればいいと願ってしまう。

 

 昨日2021/6/4にMVが、公開されて、とても素敵ないい曲だった。けれど、昔、同じような歌詞を歌っていた曲を思い出した。調べたら、2003年に発表された曲で、もうそんなに経っていたのかと驚いた。少し前のような気がする。もう17年も前の曲になっていた。その曲を思い出すと、私は、一人ぼっちで周りからは切り離されて、一人電車に乗って揺られているのを思い出す。何も悪いことなどしていないのに、四面楚歌で、孤独で、そんな中で、遠くにいる味方みたいな存在があるのはありがたいが、同時にそれ以上の大変な目にも合っていたのだと思う。悪いことは、なんでも私に紐づけされて、何をしても、許されるというような。私の知らないところで。

 それに、口をつぐんだほうが(今ここで書くけど書かなくても)いいのにという思いが沸いていた。それだけ、作品として昇華されてたら、どれだけ、その歌詞の中の感情が事実だとしても、現実で行動に起こすだけの、何かは残っていないだろうし、それにそれは決して、現実にはならないことを前提とした、そのころにはいろいろ積み上げて作り上げたたくさんの大切なものの場所へ帰るところのある人の、責任を取らなくていい場所にいる人の、私にとってはそういう歌だった。留まれぬ芝居の皮膜春の夢(2021/5/10)に作った句だけど、そういう歌だった。その一瞬はじじつかもしれないけれど、ここにはとどまれなくて、帰るべき現実に戻るところのある人の。『自分が損しない程度の施し』で、すべてをまるくおさめようとしたひとの。それはその人だけではないけれど。使い捨てだなって、知らない誰かが、私を見てほのめかしていく程度に。私が何か声を上げたら、私がおかしな人になってしまうそういう場所にいた。かつて、マイナスのところから、0のところに引き上げてくれたこともあって、それから先、また月日が流れて、マイナスばっかりこれから先は数えてしまいそうになるから、それは悲しいから、終わりにしようと思っているうちに、本当に終わってしまった。『シャミナミ』みたいな感じって、こういうことかなって。そのころはまだわずかに未練がましいところが残っていたので、随分と引きずっていたんだなと思う。うん、でも、それはなんか、もういい。なんか、ある期間の記憶ごと、ごっそりいろんなものが抜けてしまったみたいだ。なんか、星の配置を見ていたら、出生の星図の星の年齢域の相手の土星と、私の火星が合になっていて、もう終わりって、本当に土星先生から、もう時間です。けじめをつけなさい、終わりです。そういわれているような、そういう時期なんだなと思ったら、笑ってしまった。

 

 でも、昨日の曲はよく聞いたら、似たところはあるけど、ラストはちがう気がする。明るい光のさす未来に向けて開いている曲だと思う。相手にCD買わせてプロポーズした気になるなよと思ってしまう点は、やっぱり共通しているけれど、作品としては、それだけの価値があって買ったので。違うのは、もともとない希望に向って、夢と理想を歌うのではなくて、タイムリミットがあるから、結論を出してくれるのが早いといいなと願ってしまうけれど、いついつまでも、幸せに暮らそうね、という明るい未来がえがけるところ。私がしたかったことって何かなって、考えられたところ。安心していられるところ。いつか自分のアトリエをもって絵を描きたいなという夢を思い出したこと。空想の、メルヘンな。未完成なのに、勝手にさらされて、笑いものにされるのではなく、自分で納得がいって、それから発表できる。そんなのは子供じみたものかもしれないが、ある画集を眺めていたら、世知辛い世の中で大人になって、そういう世界を描けるのは大切なことなんだと思って、描いているのを知って、なるほどと思ったこと。2019年の3月に『国立トレチャコフ美術館所蔵ロマンティックロシア』を見に行って、その時に日の当たる庭でジャムを作っている老夫婦の絵《ジャム作り》1876年の作品があって、解説を読んでいると随分と酷評をされていた。特に重要性のないなんの価値もない絵というような。ならどうして飾ってあるのだろうかとも思うし、どうしてこんな風にかかれているのかよくわからなかった。歴史的に重要な場面ではないかもしれないし、ドラマティックで美しい場面ではないかもしれないが、もしかしたら、戦火を潜り抜けて生きてきた歴史があったかもしれないし、平穏な人生だったかもしれないけれど他人にはわからない困難を乗り越えて、しみじみと人生の晩年を愛する人と日常を愛おしんでいる姿かもしれない。ずっと前に、幼稚園児くらいの子供が、道行く人に人生は川の流れで例えるとどのようなものですか? だったかな、インタビューするのをテレビ番組で見て、その時広島の年配の女性が映って、ごく普通に幸せに生きてきた人に見えたけれど、その人のいう大変は、決して重くは聞こえなかったけれど、子供時代を広島の戦後の都市部に生きてきた人なら、本当に想像もつかない一言では言えないものだったのだろうなと思って、そのこともなんか思い出していました。後で美術展のホームページを見返したら、その時の解説はなくて、私が思ったのと同じような、そのとき読んだのとは違う解説が紹介されていたけれど。相手のほうが、いろいろと選択の余地があって、必要とされて、求められるものも背負うものも多くて、精神年齢はともかく生物的な年齢は差があって、優しいので結局周りの言葉を優先してしまうかもしれないけど、実際そういう人はたくさんいて、某掲示板で憧れを書き込んだ人の後に、光が強ければ影も濃くて、その陰がどこかにあるよと知っている人の書き込みを見て、私はそこを知っていて、そうでないといいなと思ってしまうけど、でも、みらいなんてわからないけど、わずかな時間でも一緒に過ごせた時間が合ったらいいなと思えたからそうだといいなと思う。もともと私が乗っているのは、一人乗りのちっこい手作り感満載のカヌーみたいな乗り物かもしれないし。世間も、一人ぐらいいなくなってもどうとでもなるのかもしれない。に分類されるのかもしれない。でも、私が私の人生をそういう風に扱ってしまってはダメだと思う。そうしないと辛すぎていられない時もあるけれど。