炭鉱の抜け穴

不可解なことの覚書 チラシの裏

バルサミックムーン トゲトゲささくれ76

相変わらず、なんの脈絡もなく突然に「~たら何してもいかんのよ」とほのめかされる日々ですが、この前の日曜日散歩中の人と

すれ違うとき珍しく「運がいいね」と会話してるのが聞こえたのです。

土曜日(2023/1/14)に携帯電話で22222のゾロ目をみて、pm2:22 電池残量22で、たまにそう言うことあるんだけと、エンジェルナンバーの意味調べたら、方向は正しくないとか疑わず、自分の選択を信じて、まだ見えてなくても信じるのが大切。まだ会えてないソウルメイトとの出会いとかあって、そう言う日々を過ごしているから、そう言うメッセージはうれしい。

運がいいとはなんのことだろ。サバイブして今日もまだ生きてること?本を読んでいたら、「ただ、生きるって辛いなと思っただけよ」看護師が言った。「人生は辛い-誰にとってとね。だけど、そばにいてくれる人がいたら、少しは楽になるかもしれない。」そしてそうかなとおもえた人に巡り会えたかもしれないこと?

 

もしも現実になったらどうなるのかな。その時は一般人A子さんとかになるのかな。

それでもいいなと思ったことがある。

 

この前の図書館に行って、時間がなくて近くにある棚から偶然とった本だったけれど、『私にふさわしいホテル』柚木麻子の文庫本を読んだ。

第六話の 私にふさわしいダンス では、色々考えた。主人公と文学新人賞を同時受賞したかつての元人気アイドルが受賞した当時を思い出している時に、元アイドルは厳しい批判を受け、「予想外だったのは、人が皆、小説の世界を侵さざるべき神聖な領域、ととらえている点だ。芸能界でなら黙殺される、ちょっとした近道や違反が決して許されない。」というところがあり、それで、この人物は主人公と対峙した時に、「出来レースじゃないわよ。せ、正当な受賞よ」というけれど、あれこれあるうちに「その言葉にやっと気づいた。自分が作家という職業に全くまったく敬意を払っていないことに。やってみてわかったが、執筆なんて孤独で退屈な作業だ。ちやほやされるかもしれないが、芸能人や政治家ほどではない。疲労感と猜疑心を・・・。」というような文章が続きます。それで、そうかその人に取ったらそういう風に見えるしかんじるんだなとおもったけど。それでも、主人公が「でもね、私は新人賞だけは絶対に平等であるべきだと思う。」というところは魂の叫びだと思ったし、この主人公は全くめちゃくちゃなところがあるけれど、オッド・トーマスシリーズのどこかで、主人公が祖母と話していた時に、神様が好きな人、見方をする人っていうのは面白い人なんだろうね。というような会話があったけど、この主人公は自分の持てる能力や才能やできることを精一杯やって人生を完全燃焼させて生きているような人で、だからこういう人が神様の好きな人なのだろうとおもいました。

それでもなんとなく流れに乗って成功してきたこの元人気アイドルも、この第六話ではオーディションを受けることになるのだけれども。

 

2015/7/3に書いた文章に、ドラマで聞いたセリフ「祖国に見捨てられたものは祖国に誇りを持たなくなる」というのがあって、私、そういう目にあったことがあるけど、都合が悪いからなかったことにしよう、見なかったことにしよう、でも、もしかしたら、「ーーー高い地位にある男たちにとって、私たち秘書、掃除夫、洗濯女、受付嬢なんかは、ー見えないも同然なのよ。単純に、目に入らないの。彼らにとって、私たちは道具であり、人間というよりも、電話やタイプライターに近い。家具程度にしか思ってないからこそ、私たちが周りにいたって、いろんなことを口からもらすの」(『女王陛下の新人スパイ』スーザン・イーリア・マクニール  圷 香織 訳)こっちに近かったのかな。この前ラジオをきいていたら、男と女どちらがお得というような意見を出し合っていて、女性側が、最後子供を生めると発言していて、男性側が黙ったけど、子供を生む道具になるために生まれてきた女の人はいないということも思い出した。

 

それで、確かに去年もいろいろあったねって、思うし、私にもあったし、画面越しや間接的にメディアでいろんな情報に接して、見えない世界にいる存在が必死で微調節してめぐり合わせてくれたのかと思う時もあるけど、現実味のないままの存在に、その文目にしてまず思ったのは、具体的に私との間には何の進展もなかったねということで。時期じゃないとか忙しいとかわかるけど、忙しくなくなる時なんてあるのかなって思いながら。

そりゃまあ、相手からしたら私のほうは吹けば飛ぶような収入で、形に残るものでもなければ、誰かに影響を与えるような内容でもないけれど、それはそれで、仕事は仕事としてちゃんとしなければとやってるし、もし何らかの変化があるのなら都合はあるしいい加減でいいわけではないから。それとも、相手の為の顔をした一方的なものを簡単に押し付けられると?

そんなことは思ってはないだろうけれど。

 

それで、個人的にプレッシャーを感じることもあって。初期のころにコロナに罹った女の人のブログを結構前に読んでいて、まだサポートも充実してないころで、不安の中で過ごしていたけれど、かかっていたことにどこで感染したかもわからず、自覚なく接した人の心配やこれからのことも考えていたけれど、その時にもし自分が死んだら、本当に悲しんでくれるのは母親ぐらいだな、とか、もし母がいなくなったら、私の生きていく意味とかあるかなとか考えてて、その人は一市民としてきちんと生きてきた独身女性だと思うけれど、それでも、それで、それがその人の事実かどうかはともかくやっぱりそんなことを思うんだなって。私は、どうかな。変なかかわり方だけど、死ぬまで覚えていてくれて、悲しんでくれた人がいたのを知っているので、奇跡的なことがあるのだな。高齢の母に若くない息子が病気で倒れて自分で動けなくなり、介護をしてもらわなければならなくなった話を聞いて、そんな風にならないことを願うけど、でももしも私がプレッシャーに耐えられずにとなれば、それは母の心痛を減らすためなのだろうな。

 

それで、やっぱりもうずーっと同じ状態が続いているから、そのこともあるけど、「うまくまとまるといいね」と言ってくれた人もまれなことだと思うけど、いてくださったけど、その言葉を聞いてからも、もう一年近くたつなと思って。私も、そうかなって、運命の人かなって思えたんだけど。

 

宙ぶらりんなまんまで、どうなるのかな。