お遍路 2014/7/18 (31)〜37
今回は5日連続の日程です。
7時半頃です。
電車で山の麓まで行き、牧野植物園まで登っていきます。
文殊通りの駅から歩いていきます。
ふしぎな感じの木です。
ユリが咲いていました。
前回よりゆとりがあるので植物や景色を眺めながら歩いていきます。
今朝咲いたばかりのような花が沢山あります。
門を潜り抜け、前回の続きを歩いていきます。
竹林寺の山門です。
すぐ近くにある石段を通ります。
日陰は涼しいです。
海の近い下田川の横を歩いていきます。
川をはずれ山の近くに行くと道ができるのか、目線を上げるとブルドーザーなど通っていました。
32番 禅師峰寺へ向かいます。
「武市半平太 旧宅と墓」の看板を見ます。暑いです。
途中、お接待をしていただきました。ありがとうございました。
歩きお遍路さんには外国人も多いそうです。年賀ハガキをいただき、返信に歩き遍路の目標を書いたのですが、まだ実行できてないのが、心に引っ掛かっています。
しばらくして、小さい黄色いみたことがない蜻蛉が飛んでいて、写真を撮ろうと頑張っていたのですが、さらにしばらく行くと同じ種類のトンボがたくさん飛んでいました。キイトトンボのようです。場所は石土池です。
地図はみていたはずなのですが、トンネルを潜り抜け、道を間違えていたらしく民家の近くで出会ったかたに教えていただき、左斜め後方の山を目指し登っていきました。
暑いので影で猫がのびていました。
夏山です。坂を登って行きます。
山の上にあるお寺に到着です。
駐車場の休憩所で水分補給です。
本堂です。お参りをします。丁度十二時になったのを報せる音が響いて来ました。
大師堂です。
十一面観世音菩薩像が本尊です。
船舶の安全を願って建立されたそうです。
お参りをします。
こちらにも奇岩があり目が奪われます。
塩の干満岩があり、窪みにたまった水の水位が塩の干満によって変わるのだそうです。
見晴らしがいいです。
土佐湾が見えます。
「芭蕉の句碑「木がらしに岩吹き尖る杉間かな」は、本堂前の奇岩の間にある。」
坂を登り仁王門をくぐり、屏風岩が壁のようになった場所を通り、上に登ると本堂があります。
「 仁王門の金剛力士像は、鎌倉時代の仏師、定明の作で国指定重要文化財。」
不動明王が不思議な形の層になった巨大な岩の前に祀られています。
駐車場のある休憩所の方角です。仏像があります。
次は33番 雪蹊寺に向かいます。途中船にのって渡ります。
いつか通ったことのあるような民家の間を進み海の側の道まで行きました。こちらの浦戸大橋を歩いて渡って行く遍路道もあります。地図の道とは逸れていたようです。
土俵があるようです。
橋が見えます。反対方向に進み、種崎渡船場まで行きます。
お昼を食べるところを探したのですが、近くに無さそうだったため、初日に泊まったときに宿のプレゼントだったお菓子を日陰の椅子に座って食べました。
バスが到着します。熱気の中見送ります。海を眺めたり、船にのって遊びに行くらしい、成長期の男女の子供のグループが遊び半分刺激的な言葉を女の子が発しているのを聞いたりしていました。
乗船します。自転車に乗って向こうまで渡って行けるようでした。
もうすぐ到着です。
海をわたりまっすぐ進みます。雪渓寺へ到着です。この日はお接待でなにか振る舞われていたようなのですが、残念ながら時間が遅かったようで、終わっていたようです。
本堂です。お参りをします。
大師堂です。
境内の露店で地元産のジュースを買いました。この日の宿は、すぐ近くです。なので気楽です。宿の夕食は、途中で出会った方の予言通り鰹のたたきでした。新鮮なので、身の部分が鮮やかな赤色をしているのだそうです。
夕食の時に同席したご夫婦のお遍路さんは亡くなった身内の供養の為にお参りをすることにしたと伺いました。
部屋に戻ると写経らしきことをしてみました。
バルサミックムーン トゲトゲ ささくれ 57
タロットカードが得意でも、そのカードは、魚釣りの本をいくら読破しても、釣りはうまくならないということは教えてくれなかったんだろうなと思うことのあるそのひとは、私はその人を直接知るわけではないが、不特定多数がその気になれば知ることのできる言動から推測するに、昔聞いたことのある、奥さんが妊娠して、実家に帰って、出産して戻ると、家を飾り付けてニコニコしながら待っていて、奥さんがもう別れてほしいと言ったら、全然理解できなくてきょとんとしていたという男の人の話を思い出すことが時々ある。
私は本当だったら今頃この世に生きていないのだと思う。
そしてそのとき助けてくれたのはその人ではありません。
私は、その人がもしかしたおもいえがいていたそのような結婚式をしてもらう資格がないことを知っている。
そして私が望まない。
バルサミックムーン トゲトゲ ささくれ 56
2016/03/17 (木) 0:01
今月のムーを水木しげるの漫画の付録につられて買い読んでいたら、『日本からあわストーリーが始まります』という本が紹介されていて、そこに「本書は、阿波に残るそれらの史跡や伝承、人物伝に隠された古代阿波のからくりを探り、「(地球の)最期には神の栄光さえ知らない東の日出る島の人たちが地球を護るために歌(音楽)を携え神の栄光を伝えにやってくる」という聖書の予言が何を意味しているのか、という謎に迫ったもので、云々」とかかれた箇所があり、何だか面白いと思いました。
2016/03/18 (金) 7:52
なので、祝の神事のような現象は『「マグダラのマリアによる福音書」の解説のなかでは、ハトホルの秘儀はフリーメーソンが間違って解釈してきた男女の肉体的交歓を利用する神人一体の儀式ではなく、男性の魂を女性の魂に重ねるという純粋に魂のみの交歓でなくてはならないとあった。むろん、魂を肉体の外に解放することのできないレベルの男女てあれば、両者の魂を重ねるということはそのまま肉体を重ねるということになるわけで、フリーメーソンはそのレベルを狙っているのかもしれない。』結婚したからといっておこるわけではないが、しなかったからといっておこらないということではないのだろう。
お遍路 23 2014/5/25
翌日です。電車の時間に間に合うように急ぎます。
昨晩は大変でした。宿について一休みして、来る途中、道で私を見かけた幼い子供が発した、祖母に孫が尋ねる素朴な疑問にしてはショッキングでブラックな発言は聞こえたけれど、別に何事もなく、荷物を下ろし、提携している食堂で旺盛な食欲を発揮し、戻ってからもアイスやお菓子を買いすぎて、でも全部食べ、明日に備えて早寝早起きしようと思っていました。
その時まで、別に異変は感じていなかったのですが、夜になってから大変で、ほぼ一睡もできませんでした。何か憑いてるよくわからないのが相変わらずいて、誰かが強烈な呪術でもかけているのか、祓えず、テレビをつけると普段みることのない時間帯なのでつけっぱなしにしていたら、花子とアンの舞台裏のような番組がありこのような番組がされているのかと思いました。ドラマは熱心にみていたのですが、相変わらず寝付けず、あきらめて部屋におかれていた仏教の本を読むことにしました。
その本はわかりやすかったので、自分でも家に帰ってから購入したのですが、まだ読めてなかったことを思い出しました。
それでも知らないうちに少しは寝たのか、思いの外、元気で、食事に行くとすでに人でいっぱいでしたが、食欲もありました。
相変わらず玉石混淆で何か沢山憑いていたのかもしれません。
電車で来た駅まで戻りそこから、もとの地点まで歩きます。
前を歩いていた猫です。猫には何か憑いているものが見えているのでしょうか。
木陰の遍路道です。
ヘンロ小屋 蒲原です。
車道沿いの山道の視界が開けた場所から次の札所はまだかと探します。
到着です。梅見地蔵です。首から上の病や悩みに御利益があるといわれているそうです。
子安地蔵堂です。
30番 善楽寺です。明治初期の神仏分離令により廃寺になり、その後30番は安楽寺とのニヵ寺、現在は平成6年に善楽寺に決まり、安楽寺は奥の院と定められたそうです。
その時、寺宝や本尊は国分寺に預けられ、戻ってからは、御開帳の時期でなくても拝観できるようでした。
お参りします。
右から地蔵堂 子安地蔵堂 梅見地蔵です。
本堂です。金佛阿弥陀如来坐像が本尊様です。
大師堂です。
こちらでも、御手綱があります。
善楽寺で歩きのお遍路さんですかと、お接待で手作りのお守りを頂きました。
まだ新しそうな十一面観世音菩薩の石像です。
隣に土佐一宮がありました。こちらにもお参りします。
御祭神 |
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味鋤高彦根神(あじすきたかひこねのかみ) 一言主神(ひとことぬしのかみ)です。
境内を一周してみます。御神木がありました。
私には綺麗にとってねと言われたような気がしたので女神様かもしれません。
時計回りに進み神社の背後の右側に不思議な石がありました。
その奥に天照大御神のお社がありました。
礫石です。『古伝に土佐大神の土佐に移り給し時、御船を先づ高岡郡浦の内に寄せ給ひ宮を建て加茂の大神をして崇奉る。或時神体顕はさせ給ひ、此所は神慮に叶はすとて石を取りて投げさせ給ひ此の石の落止る所に宮を建てよと有りしが十四里を距てたる此の地に落ち止れりと是即ちその石で所謂この社地を決定せしめた大切な石で古来之をつぶて石と称す。浦の内と当社社との関係斯の如くで往時御神幸行われた所以である。この地は蛇紋岩の地層なるにこのつぶて石は珪石で全然その性質を異にしており学会ではこの石を転石と称し学問上特殊の資料とされている。 昭和四十九年八月 宮司』不思議な石や巨石に、引き続き出会います。
輪抜祓所です。『この杉は、本殿西北の御神木を奉斎したものです。輪を抜けることにより心身が祓い清められ、大木の長寿や、たくましさを授かる御神徳がございます。左・右・左と御抜け下さい。』輪を抜けます。
大河ドラマ龍馬伝の撮影に使われたレールが観光のためかそのままになっていました。
私はあの頃の時代、中江兆民のファンなので、わぁもしかしたら兆民先生も昔お詣りしたことがあるかもしれないと、うれしくなります。
摂社の3社
でも、本当は単にファンというのではなく、私の知っているなかで玄奘様と同じく信じても大丈夫なひと、不安だったり辛かったときに支えになった神様みたいな存在です。
休日だからか、祝詞が始まります。
御神籤は大吉でした。
鳥居です。
参道入り口神光門です。
竹林寺へ向かいます。途中逆打ちのお遍路さんに前日お会いしましたよねと言われるのですが、そのようなことはないので、その時はよくにた人がお参りをしているのだと思っていました。
再び歩きます。田園の中を通っていきます。自転車の練習中らしい?人にはげましていただきました。
ばてぎみになっていて川が見えてきたので、ようやく木陰で休憩です。
途中の小学校で何か行事があったようで賑やかです。橋を渡ります。
亀が甲羅干しをしていました。五台山が目の前に見えています。
竹林寺は聖武天皇の夢に現れた大唐五台山と姿の似ている霊地であるとされ、文殊菩薩の尊像を行基が刻み、寺を建てたのがはじまりだそうです。
遍路道を登って行きます。
牧野植物園内の遍路道を通ります。出口を抜けると31番 竹林寺です。
こちらも御開帳されていて大勢の人です。
一言地蔵尊です。
グループで時間毎に案内をしてくれるのですが、待っているあいだお坊さんがとても上手に面白く話をしてくれます。
五重塔です。
猫がいました。
境内に善財童子の銅像があります。
内陣です。
休憩所前に蓮が咲いていました。
大師堂です。
どちらかというと『玉手匣-陰陽師』の漫画に出てくる晴明の息子の朔君ににているように思いました。写真をお寺の手伝いをされているらしいかたにとっていただいたのですが、その時にも、昨日もこられましたよね?と言われて、よっぽど似た人か、お参りの続きが気になって仕方がなかった自分のドッペルゲンガーが一足先に来てしまったのだろうかと考えてしまいました。
先程のお坊さんが、五十年に一回の御開帳なので、次はみられないかもしれないと話したら、いえ、私はこれで二回目ですとどうみてもそんな年齢には見えない女性が答えたので、ビックリしたら、昨日も来たんですと言われた話をされて、その時はハハハと笑っていたのですが、なんだかその話もあとから思い返すとちょっと不思議なことだと思いました。
善財童子は「華厳経というお経に登場する少年。文殊菩薩さまの導きによって53人の師を訪ね、旅の末についに悟りの世界に至ります。少年が訪ねた師(善知識)がのちにわが国の「東海道五十三次」の宿場の数のもとになったといわれます。」
独鈷杵など、貴重なものをなでお参りします。
文殊菩薩が祀られていて、八十八箇所の中で此処だけだそうで、守り本尊でもあるのでこられて良かったです。
花も活けられていました。
神社がありました。
根桜と五台山ミニ八十八か所です。
句碑の庭です。
山門です。
禅僧 夢窓疎石の池泉鑑賞式庭園や宝物館もあります。
宝物館?です。
鐘楼です。
内陣参拝『 期間中、毎日8時30分~17時
本堂の内陣で文殊菩薩さまを目の当たりに拝むことができます。
ご参拝の方にはお一人おひとりに文殊菩薩さまとの結縁をより堅固なものにする「宝印加持」をいたすとともに、文殊菩薩さまのご分身である寺宝「文殊の利剣」に触れることができます。また、ご開帳限定のお守りをお授けいたします。』 文殊菩薩の真言を唱えながら参拝しました。
お参りを終えて今回はここまでです。そばのお店で柚子酢?のチラシ寿司を食べました。お昼はパンを川のほとりで軽めに食べたのでご飯が食べたかったのもあり、その土地らしい食材で美味しかったです。
バスの時間はタイミングが悪かったので、来た道を引き返します。帰りは行きより近く感じます。
電車に乗ります。ラッピングがいろいろあります。
近頃はアニメの女の子がいろんなところで活躍していますね。
はりまや橋が見えてきました。
高知銘菓のかんざしのお坊さんを思い出しつつ橋の側を通ります。
鳥がいます。もうすぐ到着です。
こちらの電車は赤いです。
高知駅です。 今回はここまでです。