お遍路 23 2014/5/25
翌日です。電車の時間に間に合うように急ぎます。
昨晩は大変でした。宿について一休みして、来る途中、道で私を見かけた幼い子供が発した、祖母に孫が尋ねる素朴な疑問にしてはショッキングでブラックな発言は聞こえたけれど、別に何事もなく、荷物を下ろし、提携している食堂で旺盛な食欲を発揮し、戻ってからもアイスやお菓子を買いすぎて、でも全部食べ、明日に備えて早寝早起きしようと思っていました。
その時まで、別に異変は感じていなかったのですが、夜になってから大変で、ほぼ一睡もできませんでした。何か憑いてるよくわからないのが相変わらずいて、誰かが強烈な呪術でもかけているのか、祓えず、テレビをつけると普段みることのない時間帯なのでつけっぱなしにしていたら、花子とアンの舞台裏のような番組がありこのような番組がされているのかと思いました。ドラマは熱心にみていたのですが、相変わらず寝付けず、あきらめて部屋におかれていた仏教の本を読むことにしました。
その本はわかりやすかったので、自分でも家に帰ってから購入したのですが、まだ読めてなかったことを思い出しました。
それでも知らないうちに少しは寝たのか、思いの外、元気で、食事に行くとすでに人でいっぱいでしたが、食欲もありました。
相変わらず玉石混淆で何か沢山憑いていたのかもしれません。
電車で来た駅まで戻りそこから、もとの地点まで歩きます。
前を歩いていた猫です。猫には何か憑いているものが見えているのでしょうか。
木陰の遍路道です。
ヘンロ小屋 蒲原です。
車道沿いの山道の視界が開けた場所から次の札所はまだかと探します。
到着です。梅見地蔵です。首から上の病や悩みに御利益があるといわれているそうです。
子安地蔵堂です。
30番 善楽寺です。明治初期の神仏分離令により廃寺になり、その後30番は安楽寺とのニヵ寺、現在は平成6年に善楽寺に決まり、安楽寺は奥の院と定められたそうです。
その時、寺宝や本尊は国分寺に預けられ、戻ってからは、御開帳の時期でなくても拝観できるようでした。
お参りします。
右から地蔵堂 子安地蔵堂 梅見地蔵です。
本堂です。金佛阿弥陀如来坐像が本尊様です。
大師堂です。
こちらでも、御手綱があります。
善楽寺で歩きのお遍路さんですかと、お接待で手作りのお守りを頂きました。
まだ新しそうな十一面観世音菩薩の石像です。
隣に土佐一宮がありました。こちらにもお参りします。
御祭神 |
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味鋤高彦根神(あじすきたかひこねのかみ) 一言主神(ひとことぬしのかみ)です。
境内を一周してみます。御神木がありました。
私には綺麗にとってねと言われたような気がしたので女神様かもしれません。
時計回りに進み神社の背後の右側に不思議な石がありました。
その奥に天照大御神のお社がありました。
礫石です。『古伝に土佐大神の土佐に移り給し時、御船を先づ高岡郡浦の内に寄せ給ひ宮を建て加茂の大神をして崇奉る。或時神体顕はさせ給ひ、此所は神慮に叶はすとて石を取りて投げさせ給ひ此の石の落止る所に宮を建てよと有りしが十四里を距てたる此の地に落ち止れりと是即ちその石で所謂この社地を決定せしめた大切な石で古来之をつぶて石と称す。浦の内と当社社との関係斯の如くで往時御神幸行われた所以である。この地は蛇紋岩の地層なるにこのつぶて石は珪石で全然その性質を異にしており学会ではこの石を転石と称し学問上特殊の資料とされている。 昭和四十九年八月 宮司』不思議な石や巨石に、引き続き出会います。
輪抜祓所です。『この杉は、本殿西北の御神木を奉斎したものです。輪を抜けることにより心身が祓い清められ、大木の長寿や、たくましさを授かる御神徳がございます。左・右・左と御抜け下さい。』輪を抜けます。
大河ドラマ龍馬伝の撮影に使われたレールが観光のためかそのままになっていました。
私はあの頃の時代、中江兆民のファンなので、わぁもしかしたら兆民先生も昔お詣りしたことがあるかもしれないと、うれしくなります。
摂社の3社
でも、本当は単にファンというのではなく、私の知っているなかで玄奘様と同じく信じても大丈夫なひと、不安だったり辛かったときに支えになった神様みたいな存在です。
休日だからか、祝詞が始まります。
御神籤は大吉でした。
鳥居です。
参道入り口神光門です。
竹林寺へ向かいます。途中逆打ちのお遍路さんに前日お会いしましたよねと言われるのですが、そのようなことはないので、その時はよくにた人がお参りをしているのだと思っていました。
再び歩きます。田園の中を通っていきます。自転車の練習中らしい?人にはげましていただきました。
ばてぎみになっていて川が見えてきたので、ようやく木陰で休憩です。
途中の小学校で何か行事があったようで賑やかです。橋を渡ります。
亀が甲羅干しをしていました。五台山が目の前に見えています。
竹林寺は聖武天皇の夢に現れた大唐五台山と姿の似ている霊地であるとされ、文殊菩薩の尊像を行基が刻み、寺を建てたのがはじまりだそうです。
遍路道を登って行きます。
牧野植物園内の遍路道を通ります。出口を抜けると31番 竹林寺です。
こちらも御開帳されていて大勢の人です。
一言地蔵尊です。
グループで時間毎に案内をしてくれるのですが、待っているあいだお坊さんがとても上手に面白く話をしてくれます。
五重塔です。
猫がいました。
境内に善財童子の銅像があります。
内陣です。
休憩所前に蓮が咲いていました。
大師堂です。
どちらかというと『玉手匣-陰陽師』の漫画に出てくる晴明の息子の朔君ににているように思いました。写真をお寺の手伝いをされているらしいかたにとっていただいたのですが、その時にも、昨日もこられましたよね?と言われて、よっぽど似た人か、お参りの続きが気になって仕方がなかった自分のドッペルゲンガーが一足先に来てしまったのだろうかと考えてしまいました。
先程のお坊さんが、五十年に一回の御開帳なので、次はみられないかもしれないと話したら、いえ、私はこれで二回目ですとどうみてもそんな年齢には見えない女性が答えたので、ビックリしたら、昨日も来たんですと言われた話をされて、その時はハハハと笑っていたのですが、なんだかその話もあとから思い返すとちょっと不思議なことだと思いました。
善財童子は「華厳経というお経に登場する少年。文殊菩薩さまの導きによって53人の師を訪ね、旅の末についに悟りの世界に至ります。少年が訪ねた師(善知識)がのちにわが国の「東海道五十三次」の宿場の数のもとになったといわれます。」
独鈷杵など、貴重なものをなでお参りします。
文殊菩薩が祀られていて、八十八箇所の中で此処だけだそうで、守り本尊でもあるのでこられて良かったです。
花も活けられていました。
神社がありました。
根桜と五台山ミニ八十八か所です。
句碑の庭です。
山門です。
禅僧 夢窓疎石の池泉鑑賞式庭園や宝物館もあります。
宝物館?です。
鐘楼です。
内陣参拝『 期間中、毎日8時30分~17時
本堂の内陣で文殊菩薩さまを目の当たりに拝むことができます。
ご参拝の方にはお一人おひとりに文殊菩薩さまとの結縁をより堅固なものにする「宝印加持」をいたすとともに、文殊菩薩さまのご分身である寺宝「文殊の利剣」に触れることができます。また、ご開帳限定のお守りをお授けいたします。』 文殊菩薩の真言を唱えながら参拝しました。
お参りを終えて今回はここまでです。そばのお店で柚子酢?のチラシ寿司を食べました。お昼はパンを川のほとりで軽めに食べたのでご飯が食べたかったのもあり、その土地らしい食材で美味しかったです。
バスの時間はタイミングが悪かったので、来た道を引き返します。帰りは行きより近く感じます。
電車に乗ります。ラッピングがいろいろあります。
近頃はアニメの女の子がいろんなところで活躍していますね。
はりまや橋が見えてきました。
高知銘菓のかんざしのお坊さんを思い出しつつ橋の側を通ります。
鳥がいます。もうすぐ到着です。
こちらの電車は赤いです。
高知駅です。 今回はここまでです。
お遍路 22 2014/5/24
翌日の5:30です。もう明るくなっています。
窓から海が見えます。出発します。
朝日が昇ってきました。
手結岬です。
下を覗きます。
沸岬が見えています。
景色がいいです。自然公園に属しているそうです。灯台があります。
行ってみます。祠があります。龍宮神社です。お参りします。
灯台です。昭和33年に初点灯したそうです。
700年以上続く海の安全と豊漁を願う「つんつく踊り」が奉納されるそうです。
神社の鳥居です。
遍路道をそれて勘を頼りに歩いていたので道を間違えていたようです。朝の犬の散歩をしていた方に出会い道を教えてもらいます。甲斐犬二匹を連れていて、一匹はきれいな虎柄で、私は初めて見ました。
橋の欄干にクジラがいました。
遍路道に戻ります。
架動橋が見えてきました。
古そうな灯籠が見えます。
きれいな港です。
鳥の後ろ姿です。こちらを向かないかと待ってみたのですが、海の方を見たままでした。
手結港の案内があります。港の歴史は古く、1657年に竣工したのが現在の湊だそうです。
振り返って橋を見ます。
橋を渡って夜須駅へ向かいます。
6:40頃です。にんぎょがいました。夜須駅です。朝の通学時間に重なったようでした。
南国の気配がします。
海岸沿いを歩いていきます。駐車場で猫の写真を撮ろうとして撮れませんでした。
今日も良い天気です。
線路沿いに歩きます。
お店の看板猫さんがガラスドアの向こうから見送ってくれました。
岸本神社です。綿津見三神が祭神です。太陽の光線もあり、ありがたい感じがします。
月見山です。『1221(承久3)年、承久の乱で土佐国幡多へ流された土御門上皇が、土佐から阿波へ遷る途中、ここで名月を眺めて都をしのんだという伝承から月見山の名が生まれ、これを記念して立つ碑。「鏡野やたが偽りの名のみして恋ふる都の影もうつらず」(「土御門院御集」)』
『安政元年(1854年)の大地震のありさまを書きしるして、人々に地震に備える心がまえを忠告した碑である。安政元年11月の朝、常より大きな地震があり、潮が20mも引いて干上がった手結港で鰻を沢山採った。翌日、大地震で家も堀も崩れ、人々は何日も徳王子の山で暮らした等々の記事あり。』
江見町馬車立場と馬車会社が明治から大正にかけてあった場所です。直線の道を進んでいきます。
カトリック教会です。
伊能忠敬緯度観測記念碑 北緯三十三度三十三分です。
平成の芝居小屋 弁天座です。
近くにあった建物です。への文字が気になります。年に一度夏の祭礼に飾られる絵金の芝居絵屏風をまもる収蔵庫の『絵金蔵』だそうです。
赤岡大橋と船着場後と横町です。江戸時代、与楽寺山門を中心に栄えた門前町と書かれています。
一本松と遍路の腰掛け石です。
忠霊塔がありました。
道を教えていただきながら、二十八番 大日寺参道の石柱までやってきました。
格子の向こうに猫が通って行きました。
大師堂です。
本堂です。
鐘楼です。
地蔵堂(六角堂)です。
この年は、四国八十八カ所 御開創千二百年記念の年で、本尊大日如来 脇仏観世音菩薩御開帳(春 4/21~5/28)があり、拝観することができました。ありがたい機会だからと、心ゆくまでお参りさせていただくことができました。平安時代後期の作です。
奥の院へ向かいます。トカゲが現れました。
随分と長いしっぽです。この頃、何か良くないものが憑いている感じで、とても大変だったので、そのことなどについても解消しますようにとお願いし、朝から竜神様に御参りをしたりしたのでトカゲの姿で神様のお使いが表れてくれたのかと思いました。
奥の院です。『生きている楠(くす)の樹に、弘法大師が爪で刻んだといわれる薬師如来像が、奥の院に安置されている。「爪彫(つめぼり)薬師」と呼ばれ、目、鼻、口、耳など首から上の病気にご利益があるといわれ、篤い信仰を集めている。また、奥の院のわき水「大師加持(かじ)水」は、高知名水40選に選ばれている。』お参りします。
水を飲みます。持っていたペットボトル入れて持って帰りました。
トカゲは逃げることもなく、帰る時も道にいました。
山門です。
お参りの人が増えてきました。
石段を下りていきます。
再び遍路道を歩いていきます。
歌碑がありました。『あじさいの 八重さくごとく 八つ代にを いませ我が背子 見つつ偲はむ 橘 諸兄(あじさいが八重にさくように 八代も長くお元気であれ 君よ見てはなつかしもう)』紫陽花の植えられた道です。
物部川です。
橋から川をながめます。すれ違った方に励ましていただきました。
水田が広がる場所を歩いていきます。道の脇に水路があるのですが、水がきれいで彼方此方メダカの学校は、本当に沢山ありました。途中、ベテランの歩きお遍路さんから地図をいただきました。ありがとうございます。
松本大師堂です。建て替えられたのかまだ新しい建物です。荷物を降ろしお昼にしました。
枝が頭上を渡り道に木陰を作っています。
甚兵衛桜と立札に書かれています。
神社の前を通ります。
国分川が見えてきました。
到着です。大師堂です。紐が結ばれています。
木陰が涼しげな境内です。
お大師さまと縁を結ぶ御手綱です。
光明殿です。
二十九番 国分寺です。こちらも御開帳されていたので、案内をしていただきながら拝観します。
庭園を眺めることができました。杉苔の美しい庭園です。
鐘楼です。
光明曼荼羅は、室町時代のポップな感じのする円形の仏画でした。珍しい仏画だそうです。 薬師如来 古瓦 梵鐘 など、寺宝を間近に見せていただけました。
中門です。「来し方を行く方を草朧かな 高木晴子」句碑があります。
客殿です。納経所があります。
本殿です。「柿(こけら)茸きと天平文化に模した寄棟造りが特徴」
再び太子堂のほうに戻ります。
酒断地蔵尊もあったそうです。
開山堂です。「高僧行基が天平13年(741年)に創建しました。」
鐘楼へ。
仁王門から、本堂の方向です。
仁王門です。
紀貫之とも縁の深い場所です。お参りを終えて30番善楽寺へ向かいます。
田園の中の遍路道です。
途中で出会った方に日傘のお遍路さんは初めてと言われました。私にとっての金剛杖です。
予定では、善楽寺までお参りするつもりだったのですが、5時までに間に合わないかもしれないので、遍路道をそれて、長崎停留所に向かいます。
この駅から、土佐電にのり今日の宿の近くまで行くことにしました。
待っていたら、アンパンマンの電車がやってきました。時間は15:33です。見送ります。
時刻表を写真にとって記録します。明日はこちらに引き返して再び続きを歩く予定です。
バルサミックムーン トゲトゲ ささくれ 55
2016/02/09 (火) 13:39
書こうと思いつつ延び延びになっているお遍路の2014年5月の写真をみていたら思い出した。
この頃は悪霊なのか生き霊なのか両方なのかに取り付かれている感じで夜が眠れなかった。他の被害者のブログで酷い悪評をたてられて、頭のおかしい誰とでも寝る女等々の、それらを鵜呑みにしたのか、女性だったら嫌悪感をもつ種類の成人男性向け漫画雑誌をそのまま実行しようとしてくるようなのや、私はあなたのことは知らないし、好意も持っていないと伝えても、自分がそうだから私もそうにちがいないと思い込んでいるようなのとか。普通だったら護られているバリアみたいなのが破られて強引に入ってこようとする感じだった。
なので個人の念に強力な呪詛みたいなのが加担しているのではないかという感じでした。同年7月にお詣りしたときもおかしくて、とれなくて、でも助けてくれたのか今はありません。
もしも、私のことを利用して祝の神事擬きを実行しようと試みたのが含まれているのならば。
2016/02/10 (水) 12:33
そんな現象は起こせない。祝の神事が生き生きして元気になることならば、霊的に凌辱するようなことをしても、嬉しい気持ちになることなどないからだ。
それに正統に引き継いでいる人がいるのだから、その人にお願いすればいいこと。その資格があるのならば。
祝の神事に必要な条件があるとしたら、いくつかおもうのは、不純物が浄化されてグンダリニが通っている人。龍から見えるようなひと。『おほけなくうきよの~』の歌のような意識をいつも無理でもあるひと。互いにエースの手紙を書いて送れる状態にあること。高い光の存在に波長をあわせることができること、宇宙の真理に近いひとなどが条件なのではないかと思う。