炭鉱の抜け穴

不可解なことの覚書 チラシの裏

バルサミックムーン トゲトゲ ささくれ 47

2015/12/22 (火) 12:35

超常現象について霊現象について、私は視覚でみたりはないけれど、『オッド・トーマス 死神と奇妙な救世主』の映画でボダッハという悪霊が出てくるはなしと聊斉志異の画壁をドラマでしているのをみて、もしも見える人が視ていたらこういう感じだったのかなと思いました。

 

ボダッハは、陰惨で残酷な死や出来事が起きそうな場所に現れるのですが、だんだん集まってくるのは怖かったです。良くできていて、アメリカの?悪霊はメタリックでハイテクな感じのする姿でしたがやはり恐いです。

 

 

 ドラマの方は、お寺が妖怪の住みかになっているのですが、徳の高いお坊さんとおもわれる人物の廻りを黒い靄のような煙のような感じで縦横無尽に動いていました。私にはみえないけど姿がないから見えないのかもしれません。

昔の話ですが、「山に妖怪がいるなんて話したら、都の人に頭がおかしいと思われるよ」となぜ寺をこのままにしているのか、その場に訪れた主人公に話していたので、その頃もそうだったのだなと思いました。

 

私がミレニアム版幻魔大戦と呼んでいるころ、夜おかしな霊的攻撃にあっているころ、薄皮一枚のような感じのバリアの外に、もし見えていたら、ボダッハみたいなのがいっぱい集まっていたのではないかと思いました。

2015/12/24 (木) 13:20

ある占星術の本をこの前読み返していた。まだ、その人のことを信じていて、手紙のやり取りを熱心にしていたころ借りて、そのまま返す機会がなくなり持っている本で、二十代のころ本屋でよく目にした大型のです。表紙が私にとってはバンパイアハンターDの幻想的なイラストを描くひとの絵の。

 

自分に該当する所を読んで、その時は特におもわなかった箇所が目について。相性占いのページで、土星かなにかのアスペクトだから、試練や抑圧ということでこういうことがかかれているのかと、恋愛のアドバイスとしてありそうなことが書かれていたけれど、今回、執筆者のホロスコープ知ってからよみ、「なになにで単にうるさいだけの存在になりなんたら」とありうるさいの横に点々が強調するように打たれていて、他の箇所では見当たらなかったので、故意なのかと思うことがありました。私はそのころその人と面識もなければなにか特別な感情もありませんでした。自分と関わりがあるとも思っていませんでした。

2015/12/24 (木) 13:48

その頃もユングについてかかれてある文章を読んだときは、まだ占星術の知の地平線を拡げよう。未知の事柄にも固定観念で決め付けずに取り組もうという情熱があったように感じていました。

若かったからかもしれませんが、今は少しちがうようにおもいます。

2015/12/25 (金) 13:40

愛が呼吸がぴったりあうことだったら、私は早く終わらないかなと息をつめている時間があり。そういうのから楽になりたくて、嫌がらせが終わるようにと、いうのはドナドナの曲が聞こえるようであり。三次元なら三次元でもう少し現実で親しくなってそっくりな人と区別がつかないままでは、やっぱり神様からみて、魂の契約がないのではないかと思う。

お遍路さんの本に『十二因縁の八番目は愛です。幼少期から成長して、いよいよ思春期に入りました。人は誰でも気が会いそうなひとと虫の好かないひとを区別する心をもっています。まったくの初対面なのに、十年も前から知っていたような感じのひと。いや、それよりもずっと以前の生まれる前から会っていたような親しさを感じる人がいます。』それで、その人と私の間にはそのような強い関係は因縁はなくて、それでこのようなのは他人の辻褄あわせのようにかんじるのではないかと思う。好きな異性に霊感で問いかけて、向こうも好意を持ってれいれば温かい波動がかえってくる。と別の本でよみ、でもそれって霊感で特別なのかよくわからないけど、猫や犬がこの人間が猫好きいぬ好きと見抜くのと同じようなものにも思う。もしあったら、郵便局の小人が温かい波動で区別したように、届くと思うけど、感じられないし、三次元で現実に小さいなにかを積み上げていって何かジャック以上のものができたらいいねっていう。

 

イグアナの娘は、それでもちゃんと恋愛しで失恋してまた好きになって、ちゃんと自分が幸せになれるひとを選んで幸せな笑顔が自然に浮かぶひとと結婚した。

でもそれは盛大な豪華な結婚式ができたからではない。もっと別なことが大事で、その人の乗り越えることだったからか。

 

バルサミックムーン トゲトゲ ささくれ 46

2015/12/18 (金) 14:03

人生が失敗とか、あまり考えたことがなかったけど。人が生まれてくる前に、人生の青写真を作ってから生まれてくるのならば、『おほけなくうきよのたみにおほうかな』というように、地球を愛の波動で被おう、創ろうと、計画をたてて生まれてきた人たちがいて、光の存在や高い波長と繋がった創作活動、愛を込めた歌を歌うオルフェウスみたいなひとたちが、いて、その事思い出すきっかけの一つみたいな存在だったことがあるのならば、そういうことに関しては結構いい線いったんじゃないかな。そういってもいいと思う。

占星術の本を読んでいて、実際の占いが載っていて、まだ、そんな恋も失恋もしたことがない頃に、失恋をしたときに家から一歩も出られなくなって仲間に来てもらってドンチャン騒ぎをするとき以外、引きこもっていました、ということが書かれていて、その時はまさか自分もそんな風(空っぽになって家から出られないような)になるとは思わずフーンと他人事でした。それでもそんなに本当に好きだったんだなっていうのは、いいことなんじゃないかと思う。そこまで思える人と出会ったっていうのはすごいことにおもいます。

2015/12/18 (金) 14:07

私がそうなったのは、相手がわかっていたわけではなくて、相手の活動や外見ではなくて、鯨のコミュニケーション手段のようにある周波数みたいなのに反応して勝手に起こって勝手に通りすぎていったものですけれど。でも、自分との関係がどうであれ、その存在がなくなったら、私はずいぶんとさびしいと思う。

 

 

 

バルサミックムーン トゲトゲ ささくれ 45

2015/12/15 (火) 13:07

この前、坂村真民記念館にいって、詩集を購入した。そのなかに愛ってなんだろうと思って読んだ詩には『愛とは呼吸がぴったりと合うことである』と書かれていたように思う。ますますわからなくなったけれど、自然にあうのが理想かもしれないけど、前のように歩けなくなった年を取った飼い犬の歩調にあわせて歩くことならできる。(その本に載っていたもう一つの愛という題の詩では、『愛には意味づけなど不必要だ なんでもない愛が本当の愛なのだ 水が流れていくような 風が薫ってゆくような そういう愛を もとめてゆこう』とありました。)

シャーロック・ホームズのドラマを見ていたとき、「あの人はひとをいじめて喜ぶ暗いところがありましたの」という台詞が出てきて、外面はすごくいいけど憂さ晴らしに、よくしなるとげのいっぱいついた鞭を無防備で丸裸にされた相手や、家のなかで発揮されたらいやだなあって。

なにかきれいなものというのは、私が言いたいのは、たぶんそういうことではなくて、『おばかさん』にでてきたボナパルト ガストンが持っていたなにかのようなもの。頭の先から足の先まで全部やらせでぜんぶみせかけっていうのはそのひとだっていやなんじゃないかと思う。ほんとがなんにもないなってわかっているはずだし、誰かの操り人形にされっぱなしでは、その人の望みと一致していたとしてもなにかちがうとおもう。

2015/12/15 (火) 13:20

あったことも話したこともないのに、みえないきずなみたいなものができてしまって、助けてくれた人がいて、魂のコードみたいなものがあった人がいて今命があるんだと思うって書いた、それどういうものかっていうと。例えばモンゴメリのエミリーの本のなかにね、不思議な話なんだけど、大事に思っている人が沈没する船に乗りそうになるビジョンをみて、相手とは連絡がとれなくなっていたんだけど、幻になって現れて、それで結局船にはのらなくてたすかったのです。(随分前に読んだので、違っているかもしれません。)もともとそういう霊感みたいなものがあってそういう素質があるということかも知れないけれど。

実際にねそういう気配があって、でも書くのは控えようと思うことで、でも思うにその人、私が想像したり思う以上にいい人だったり立派だったり、素敵な人だろうから、それも不思議な話ではあるね。

 

バルサミックムーン トゲトゲ ささくれ 44

2015/11/20 (金) 21:47

しばらく前、鳥ではない黒い飛行物体が音もなく通りすぎていった。初めは大きめの鷺が飛んできたのか珍しいなと思っていたら、台形っぽい形のライトの点いていない飛行機ともちがうかんじの物体だった。月の方向に向いていて西から東に飛んでいき黒いからかもしれないけれど消えたように闇に紛れて見えなくなった。それほど上空ではなくて大きめの凧を人があげて見上げたぐらいの感じだった。なんだったんだろうあれは。

2015/12/02 (水) 7:30

いかなごくんでも、いいなあと好意を持ってる女のひとに対してもっと頑張ってるなと思う今日この頃。

心身ともにボロボロで経済的にも逼迫しているなか無理して会いにいった(講座をききにいった)と知っていながら、あのような態度で。将来自分の助けになるかもしれない資金の大半を使わなければならないような旅行にはては出せない。

2015/12/03 (木) 13:23

負うた子に教えられて浅瀬を渡るということわざがあったと思う。その人が、本当の魔女さんがとか、修行をつんだお坊さんでそういうことがあっても不思議ではなく尊いことだと思えるような対象ではなくそう見えなくても、不思議な現象や、超常現象、神秘的なことが起こることもある。

ある時期、私にも不思議なことが起こっていて、あんまりすごかったから、他のひともそうなんだろうと思っていたけれど、そうでもなかったみたいだと後から思ったけれど。私は調べる余裕とかなくて大変だったから、オカルトに興味があって、魔法のようなことに詳しかったのならば、そのような知識が集まりやすいところにいたなら、なぜ聞いてみなかったのかなと思う。こういう星の配置ではこういう現象か起こっているんだと検証できてなにかわかったかもしれない。

 

でも今はもうわすれてしまったから、教えてほしいといわれても何があったか教えられない。

 

出雲大社の神官の人に起こった現象とかはふりの神事とか密教の霊験のように、調べようとしてもそういうことでは伝えていくことができない現象であるからかな。

 

バルサミックムーン トゲトゲ ささくれ 43

2015/10/15 (木) 12:24

どうしてハリーポッターの映画について何度も書くかというと、もしかしたらと思ったことがあって。

 

私がまだ若い頃、二十代頃にサビアンの本を買って読んでいたとき、じぶんの星のある位置について書かれていることについて、さっぱりわからないと思っていたんだけど、最近読み返して、冥王星がこの位置にあるとそういう風になるのかというところを通ったかもしれないから、その本に書かれていたことが、私からの解釈であるけれどわかったように思いました。

 

しばらくまえに、ネットの動画でフィッツというドラマが視聴でき、私はそれまでその作品を知らなかったけれど、ハリーポッターの映画では、確認が不十分でごめんなさい。ハグリット役でした。私が考えていたのは、マグルの世界のハリーのおじさん役でした。

2015/10/21 (水) 13:39

ハリーポッターみたいな人気のある映画で、見ている人も大勢いたら、あの世とこの世の境が薄くなっているときに、ハリーポッターに辛くあたる悪役だと、そういう念が集中して集まってどうなるのかなって。

作られた国ではよく知られていて役だってわかっても、そうでないばあいはまた役にたいして思う純度がちがう様にも思う。

フィッツ役は、人当たりのいい隣人とは言いがたいけれど、高度に進化した存在からみたら、あるがままの誠実な人物なんじゃなかろうかという、信頼のできるところのある人物でした。

2015/10/22 (木) 13:33

昨日、今日と朝の通り道で猫の死骸を見た。

 

もしも何かの意図で故意に行われたのなら酷いことだ。

書くと余計になにかされたらいやだと考えたけれど、帰りがけに神社にお参りにいこうと思う。

2015/10/23 (金) 12:28

ファンシイダンスを読んだときに、洋平くんが南老師に尋ねたシーン。『「---あばいてやりたいナ こーなったらぼくあそんじゃいますからね」「(ホホホホ)齅著すれば即ち脳裂す とゆー言葉がある 未萌芽の香りをかぐと頭が割れる つまり 無想無差別の絶対境は嗅ぐとか嗅がないとかの相対的感覚を脱しなければ頭を割ることになるとゆーことじゃ」ーーー「脅かしじゃないて!悟明の事をゆーとるんでもないわバカめ!  “嗅ぐ嗅がない”の現実から超越してないのなら むやみに未知の世界に鼻をつっこむなとゆー事じゃ!おまえはいつも状況をナメとるじゃろーが」「エッ?そうでしたっけ?」「いいかげんやめんと いつか頭が割れるよーなことになるぞ」

 

理解してもらおう。貰えると思わないことという小説の中の台詞。

 

冥王星の天秤6度付近、集合無意識の陰性のエネルギーが集まる場所と言うようなこと。

 

闇払いの魔術師になるには悪に詳しく強く、なおかつそれに負けない善が必要なのだろうと思う。

ハリーのおじさん役をすることがその度数と関わっていたのかわからないけれど、太陽を抱く月に出てきた神母様のように、地上に蔓延していたそれらを集めて亡くなるときに浄化するため持っていってくれたのかもしれないと思ったことがあります。

人種的差別や偏見があるかも知れなくても、言葉にしにくい何かを抱えてどうしようもなくてでもすごく大変で誰かに聞いてほしかったとき、もしも機会があれば、思い込みや色メガネなしで、話は話として、この人だったら受け止めて貰えたかなと思えたからかもしれません。

 

占星術の掲示板を時々読みにいく。その時、海王星について読んでいたんだと思うけれど、投影や幻想による作用ではなかろうかという感想で、女神であることを要求される奴隷、とか、結婚している人だったけれど相手はすごく大事にしてはくれているようだけど、その人の思い込みで見ていてそれが今でも変わらず、それは自分ではないと感じるというようなことを読み、うまいこというなあと思ったことがあります。それから、すごく好きな音楽や心に響く歌があって、調べたら、星同士に合になっていたということも印象に残っています。

 

 2015/10/29 (木) 12:09

別にここに書くようなことでもないんだけど、流行歌というのはその世代の人に合うというのは星の位置もなにか特徴があるのかもしれません。女性歌手ということで、例えば松田聖子は私にとって小学生のときすごく人気のあったアイドルで、でも私にとってはしっているけれど自分より上の世代の為のアイドルで少し上の世代の人の憧れのような感じに思っていました。それで自分が実際にその頃の世代になったとき人気のあった女性歌手は誰だろうと思ったとき、ザードやドリカムなのかなとおもったりするのですがよくわかりません。でも私よりずっと歌が好きで、歌謡曲に詳しかった同級生が松田聖子を歌うというのは聞いたことがなかったので、やっぱり世代的に響く歌手というのはあるのだろうと思います。

2015/10/29 (木) 18:35

朝の連続ドラマのあまちゃんとかも面白いと人気があったけれど、私にはあまりピンとこなくてみてはいなかったけれど、あのドラマに影響を受けたのはアイドルでいえば松田聖子よりは少しあとの小泉今日子の人気のあった頃ぐらいなのかなとかんじます。バブルを青春時代に謳歌した人たちや。

 

どうして松田聖子を思い出したのかなといえば、いつ頃だったかおもいだせないけど、結婚式のテレビ映像を視たことがあって、それでそのときにこういう結婚式だけはしたくないなと思っていました。なぜそうおもったのかよく覚えていないけれど、テレビ放送の結婚式というものが私の好みではないということかもしれないし、笑顔だったけれと、水族館のセイウチショーのお客さんの女の子みたいな気持ちになったからかもしれないし、テレビというのは欲望や思惑が渦巻いて凝縮されたよなところがあるから、そのようなことを感じたからかもしれません。その頃のアイドルを考えるときおかだゆきこが私は思い出されて、自殺したあとも長いこと張られたままだった消防署かなにかのポスターとともに、芸能界って怖いところだなと感じていました。

 

それで私がそれはやめてほしいと思うことがあったら、でもほんとはそうじゃなくってねと軽くひっくりかえそうとするとき、その人のもつイメージ設定に松田聖子あるいはそのような女性に対するあこがれや初めの結婚式たいする理想というようものがあってそこに結びつけよう、誘導しようというようなことを感じたからではないでしょうか。

 

でもそれはとても卑劣で残酷だと思う。

 

私は本当に嫌な思いをしてきました。見知らぬひとからもう死んでいると言われるようなことをしてきて、そのように私を利用するのは、お金持ちになったときだけ杜子春に沢山の人が集まってその人たちのためのしきのような。よかったことのように見せかけるためのいめーじ作りのショーのため。じぶんの結婚なのに自分以外のだれかのため。

 

その世界で生きてきて自覚があって生活の糧を得てきたというのならそこに喜びや希望ややりがいもあるでしょうけれど。 

バルサミックムーン トゲトゲ ささくれ 42 

2015/10/13 (火) 12:32

しばらく前のブログのお題が結婚を決めた理由というようなことだったからか、もしもの話だけれど色々考えてしまった。

私は結婚にたいしてあこがれや夢とかあったわけではなく、イコール幸せとはかぎらないとしっていて、だけど物心ついたときからなんだか変だな嫌だなということに囲まれてきたから、もしも本当に心の通いあう好きな人に出会えたらその時は誰かに何かに利用されるんじゃない誰かの思惑に嵌められるんじゃない小さい幸せな結婚式がしたいなと思っていたんだと思う。国の幸福度ランキングで高い国は信頼がある国だった。そういうなかに生きてきてせめて社会の最小単位にある人との間に信頼があればいいと願ったのかもしれない。

 

まだ少年より前ぐらいの男の子達が何年か前に私を見かけたとき、結婚にたいしてきれいな憧れや夢を口にして、そういう風に思える人や思ってくれる人もいるんだなと新鮮な驚きだった。

 

数年前まで私にかかっていた私の嬉しいも幸せも意思もない誰かの何かの思惑は操作は、わたしに、以前かいたような「死にたい死にたい」と聞こえるんだろうという状態をもたらしたけれど。

もしものこの状態をもたらしたことと関わりのある男の人との結婚なら、私は犬を飼おうと思う。猫でもいいんだけど、私がその状態になったとき、身近で打算のない愛情をくれたのは飼っていた犬やいつの間にか居着いた猫で私はとても救われてなぐさめられた。その猫ちゃんたちはまだいるので。もしも犬を飼ったらきっと私を助けてくれると思う。

 

10/14

それから自分の経済力。まだ20代前半の頃読んだ女性雑誌に載っていたマネー特集の切り抜きを持っていて、それは今でもあまり変わらないアドバイスではないかと思う。それに書かれていた内容の、結婚後、“自分のお金はなぜ必要?”という箇所では、結婚後のシミュレーションもあり、「専業主婦の身では洋服ひとつだって家計簿と夫の顔色を見て買うんですよ。ましてや『学校に通いたい』『パソコンを買いたい』…...などと思っても、夫の給料からまとまったお金は出しにくいもの。でも、結婚前から貯めておいたお金なら法律的にもあなたの財産。夫の意向を気にしなくていい自分のお金なら使い道は自由です。しかも家計費とは別扱いだから気も楽。そして万が一離婚という時にも150万円あれば家を出てアパートを借りても数か月は過ごせるはずです。お金がなくて離婚できない人もいますからね。」うわぁー!!結婚後っていろんなことがあるんだ。やっぱりお金って大事……。「結婚の予定がなくても結婚までに300万円と思って貯めておく。それで20代後半で結婚しそうにない時は、家からの独立や、会社をやめて留学する時や、転職するときにこのお金を使うんです。いずれにせよこの300万円はあなたの人生を支えてくれるお金になるはずです。」それから、別のページの終わりに高橋先生の結婚とお金をめぐる警句集!があり、どれももっともだと思われることが書かれていて、その6に、「…こうしてお金を持っていると、実は夫婦の仲が良くなることにもつながるもの。お互い“いつでも別れられる”という気持ちでいると、本音でつきあえるから長続きするんです。」というところも思い出しました。

 別にそういう人ばかりではないと思う。でもこの場合はそのことが浮かびました。経済力がないせいで、何でも相手の言いなりにならなくてはならないのは嫌だなあって。何かのついでとか、何かのおまけとかじゃなくて。お金の使い方で、私のために何かをしてくれる時があれば、もしかしたら、私がカキアレルギーと知っているのに、カキの専門店に連れて行って、その場には大事な人も招かれていて、帰ることも腹を立てることもできずに食べられない御馳走を前にしているだけになるんじゃないのかとか。私には価値の良くわからない燃えてもなくなっても心を痛めることはなさそうな古いカードには惜しみなくお金を注ぎそうだと思ったけれど。何かを贈ろうとした場合、かわいいと言えばかわいいけれど、1998年頃に見に行った、近くの百貨店であった『映画のドレス展』で購入した『映画の中のウエディングドレス展』という素敵なドレスの沢山載った写真集を私は今でも持っていて、その中の『マンハッタン・ラプソディ』にあった文章の「もちろん12才のフラワーガールと同じスタイルのドレスはローズには滑稽でしかなく...」という箇所を思い出した出来事があり、親切なのかいじわるなのかよくわからないことになりそうだと思ったからかもしれない。どちらにしろ、あとから、自分の本当にほしいものは自分で買えたらいいなと思う。

どうしてそう思うのかな、と思っていた時、しばらく前に地元の情報紙で見かけた家の宣伝に、夫婦の「わたしたちの...」という言葉が添えてあり、〜たちの部分が見えない関係だからかなと思いました。いろんな関係があると思うけれど、そういうのがあればいいなと思っていたのだと思います。ジャックと書いたけれど、7なのにキングに見せかけようとしたことがあった と思います。 

 幻魔大戦のようなことがあったとき、本当に大変だったとき、魂のコードようなものがあってセーフティネットになってくれた、わずかばかりのいい人たちがいて、私は今生きているのだと思います。でもその時その人はそういう事柄の外側にいた人だと思います。もしも、その時少しでも助けてくれていたのなら、わたしの中の気持ちももう少し違うものだったと思います。

 

バルサミックムーン トゲトゲ ささくれ 41

2015/10/02 (金) 12:44

超常現象の多かったころ、ハリーポッターの映画も作られていた頃で、あの世とこの世の幕が切り落とされるという時期と重なっているから、ハリーポッターの映画は物語だけど現実におこっていた魔法、超常現象幻魔大戦が実際にあってそれが写されたり重なっている面があるのだと思う。

2015/10/06 (火) 12:43

念について考えていて、そういうのって飛ぶという。韓国のドラマを見ていて、悪い人は本当に悪人に描かれるから、人気のあるドラマだとそういう念はどうなるのかと思ったことがある。昔のように、映像が残ることもなく、見る人も限られた会場で、幕が上がって下りたらお芝居は終わりというのとは違うから。

2015/10/09 (金) 17:50

昨日は珍しく黒ではなく白い鳥の羽をみた。

誰かがおいたのだろうか。それともなにかのサインだろうか。

 

2015/10/9 21:55

相変らず声お化け(何らかの電波攻撃)のほのめかしは延々と続いています。