炭鉱の抜け穴

不可解なことの覚書 チラシの裏

バルサミックムーン トゲトゲ ささくれ 29

 何が原因、と決めつけるわけにはいかないと思うけれど、そういう時期に、『透明な世界 第16回』にある「この若い存在が、思春期にさしかかり愛の体験を持ち得るようになると、成熟を完成させるために“大いなる根源”から強い生命力が下りてきます。思春期に新しい生命が目覚めるこの時から、自己の完成の業は本人の直接の責任になります。』とあり、私は天王星の影響の強くなる最初のスクエアになる満21歳前後ごろ、『親離れできれば生きることは楽になる』加藤諦三のシリーズなど熱心に読んでいました。それらが必要なぐらい不安定だったと思う。まだ20才前頃だけれど、手相の本を眺めていた時、手首線というのが載っていて、その本によると、中指長さと、手のひらの長さの割合についてかかれてあり、私は指の長さの割合が長すぎて、そういうのは精神疾患の人がおおいというようなことがかかれていて、随分怖い思いをしたことがある。いつのまにか、その線は、以前のものも残っているけれど、今は5ミリ以上、下にも手首線ができていました。

『親離れできれば生きることは楽になる』、のなかにアホロートルの話が出てきて、「前出の『動物の親と子』によると、こんなことになるのは、夏でも寒いロッキー山脈の渓谷を流れる水のせいだという。そのような水の中では甲状腺ホルモンも威力を発揮することができないのである。

 甲状腺ホルモンの威力とは、人間の精神でいえば自立への願望、人間らしさへの願望とでもいうべきなのだろう。

 動物の肉体の健全な成長に甲状腺ホルモンが必要なように、人間の精神の健全な成長にも特異な家庭の価値観からの自立が必要である。先の本に、変態前のオタマジャクシの体から、まだホルモン分泌をはじめていない甲状腺をぬきとった場合の話が出てくる。

 そうすると、いつまでたっても手足はのびてこないで、尾も短くならない。同期の他のオタマジャクシが、こぞって蛙となって陸に上がってしまった後にも、ひとり長い尾をふりふり水中を泳いでいる。しかし、成長はつづけられていくので、その結果たいへん巨大なオタマジャクシができてくる。

 自分の育った特異な家庭の価値観を頑固に守り抜くということは、このきみの悪い巨大なオタマジャクシになることでもある。仲間が皆蛙になっているというのに。

 人間の社会でも、甲状腺からのホルモン分泌でオタマジャクシから蛙に何事もなく成長していく人もいる。夏なお寒いロッキー山脈よりも気温の高いところで、普通の山椒魚に成長していく人もいる。

 そのように恵まれた環境の中で育つ人もいるが、ロッキー山脈の渓谷で育つ人もいる。『人間の成長』という本の中では、このような特異な家庭に育った人が社会で経験すことをいわゆる文化摩擦と同じに考えている。』

 月土星ハードの問題は、こういうことと関連するのではないかと思う。(それだけではないと思うけれど。)

 

 以前、聴覚障害のボランティアの講習を受けた事がある。その時、印象に残っているのは、親は真の理解者か?ということと。

それから、お遍路をしはじめてから購入したまだ全部読んでいない『実修 真言宗密教と修行』という本をめくっていたら、後ろの方に「師と弟子は父子より密接」という部分があり、「こうして見ると当然というべきか、弟子よりも師匠のハードルの方が高い。ー 師弟関係について、弘法大師は次のように述べている。「師資の道は父子よりも相親し、父子は骨肉相親しといえどもただ是れ一生の愛にして生死の縛なり。師資の愛は法の義を持って相親しみ、世間出世間に苦を抜き楽を与う。」(『遺誡』) 師弟関係は肉親の親子の関係よりも密接である。父子は血を分けた関係かもしれないが、これはこの世限りで迷いをもたらすものである。しかし、師弟の愛は真理を持っての結びつきで、物質的にも精神的にも苦を取り除き、楽を与えるものである。このように、密教ではいかにその関係を重視しているかがわかる。」と書かれていました。 

 アンディ・ウォーホルについては、生き馬の目を抜くような世界で、最先端で質の高いものを絶えず生み出していたら、常に放電状態で、その時に周りに魅力のある女性やインスピレーションを受ける存在がいて、空っぽにならずに保てたのかとおもったけれど、だからといって、その関係は相手とは一方的な、相手の自覚のないものではなかったと思う。 この前テレビで『メン・イン・ブラック』に出てきていたから、もしかしたら、人間ではなく宇宙人だったのかもしれないし。『辛酸なめ子 松村潔  人間関係占星術講座』を読んでいて、「高度に発達した人間って男女でもスピリチュアルなことを語り合ったりするんですかね?」と尋ねている箇所があり、「それよりも、霊・魂・身体の3つがバランスよく備わって、なによりも男女の区別がなくなっていくと思う」とあったので、その存在は女性とは限らなかったかもしれないけれど。