炭鉱の抜け穴

不可解なことの覚書 チラシの裏

バルサミックムーン トゲトゲ ささくれ 16

『ダスカロスは話し終えると、椅子に深く腰掛けた。そして、少し間を置いてから再び口を開いた。

「私の考えでは、結婚とは男女の間に特別な愛を育んでいくためにするものだ。宇宙の創造の力と協力して家族を育てられるように、だ。そのようなことを10人の違う相手とはできんだろう。少なくとも、私はそのように理解している。しかし現在の状況がそれを許すかどうかは別の話だ。この時代に生きる私たちは、すべての倫理的基準をひっくり返してしまった。とくに抑圧的なルールを捨て去る必要があったのだが、その過程でほとんどすべてのルールを捨ててしまったのだ。現代の社会的なしきたりをそのまま認めることはできないが、かといってそれを捨てようと主張することもできない。何をしても、周囲は混乱だ」

ダスカロスは、この永遠の時間の中のある時点の、性的な関係において、違う選択が可能となり、本当の愛は重婚によって表現されるようになる可能性も否定できない、といった。しかし、このようなケースは今までの輪廻転生で見たり経験したりすることはなかったと言い、彼にとっての本当の愛は一夫一婦制でしか見たことがないと主張するのであった。

「神聖な儀式としての結婚をどうご覧になりますか」とステファノスは沈黙の後、質問した。

「神聖だと思う」とダスカロスは強調して答えた。

「しかし、教会での結婚式を指しているんではないんだ。司祭の祈りとかハレルヤの合唱が結婚式をつくるわけではない。」

「もう少しそこを説明してくれませんか」とステファノスがまた聞いた。

 ダスカロスにとっての結婚とは、二人の人間がお互いに持つ親密さ、愛、献身であり、それは輪廻転生を繰り返しながら成長させていくものだという。教会の古代の司祭たちはこの真理を知っていて、ギリシャ正教会の結婚式の際には、司祭が、

《主よ、この世に幾度も生まれ、そして去る彼らに祝福を。天の主よ、彼らの月桂冠に幾代を超えて祝福があらんことを。アーメン》

と繰り返し祈るのである。

「夫婦が一緒に生きられるのはせいぜい三、四十年と考えると、何世紀も通しての輪廻転生以外にこの言葉が何を指しているといえよう」

 ダスカロスは二人の人間が一緒に住み、愛し合っていれば、神の目から見て二人は結婚していることになると指摘した。さらに、社会的な決まりや習慣が結婚に神聖さを与えるのではない、とダスカロスは主張した。事実、二人の人間が社会的な意味で結婚しても、神の目には結婚としては映らない場合もあるのである。』(『太陽の秘義』より)

 ある時期、おみくじを引くと続けて何度も同じような結果になったのは、そのようなことからではないかと思う。