炭鉱の抜け穴

不可解なことの覚書 チラシの裏

バルサミックムーン トゲトゲ ささくれ 15

『2015/01/19 (月) 1:41

今日は電波がとても強い。「嫌われとったらなにしてもいかんのよー。わかっとるーん〓?ずっといじめられよったんよ。」聞こえてくる声お化けの音声。クリスマスも正月も関係なく続いていた。

だとしてもこんな嫌がらせは受ける筋合いはない。

被害にも色々あるようで、他の被害者のブログで、ひどいセクハラの触覚のあるいやがらせにたまりかねて被害を訴えていた人がいて今はそのブログはなくなってしまったけれど、その人にもそんな拷問のような嫌がらせは受ける理由などないように思われた。ないのだろう。その人は結婚している女性だったが、夫の人が「誰々ちゃんがどうしてこんなひどい目に会わなくてはいけないのだろう」と嘆いていたようすが書かれていて、なんだかその事はうらやましくおもってしまった。いまはもうそっとしておいてほしいのかもしれないけれど。

 

わたしが思い浮かべたある人にはそういう意識や感覚を感じたことがなかったので。むしろまっすぐなところのあった人や、私のことを大変だと思ってくれたやさしい人がそれとなく箝口令がしかれているんだよと言うことを教えてくれたけれど、そういう人たちにたいしてむしろなんだか不快な態度をとっていたり酷いなと思うことがあったので。

こういうことを書いてその人たちがひどい目に遭わなければいいなと思うことがあったり。それを起こすのはその人とは思わないけれど。

韓国ドラマ(『不屈の嫁』)を見ていたときに、条件が悪い恋人に、結婚する際おばあさんが、相手の男性に、何々だからといって、小突いたりバカにしてはいけないよ、と愛情もって諭すシーンがあったのだけど、その男性はそんな心配は必要ない立派な人だったか、なんだか心に残っていた。

私の場合ははじめからそうだったわけではないと思うけれど、してはいけないよと諭されたことをされ続けてだんだん気持ちが縮んでいってしまったみたいだなと思う。』

 

 あまりにも眠られなかったので日付の日に携帯からPCに送ったメールです。

 

 前に読んだ雑誌で「女の子の夢は結婚」という部分に洗脳のような嫌な感じを受けると書いたことがあったけれど、もしもそれが本当に愛する人と出会ってその人との結婚ということなら、それは私にとっても例外ではなかったと思う。しばらく前に沢山買った古本の荷物のどれかについてきていたチラシに、「結婚しなくてよかった」?だったか女の子が写った写真にこの言葉があり、女性の人権がないがしろにされている国で15歳以下で自分の意志とは関係なく結婚が決められていることに対してのセリフのようでした。私はそのようなことにつながる欺瞞のようなものを感じたのではないかと思う。

 そういえば昔、結婚には互いの合意がいると習ったと思い出し、調べたら

『両性の合意(りょうせいのごうい)は、日本国憲法第24条で規定された、婚姻の原則である。大日本帝国憲法下やそれ以前には、婚姻には家長の同意が必要とされ、特に格式の高い家柄では、血統存続を目的として、親が婚姻相手を決めてしまう場合がほとんどだった。この制度で著しく損失を被るのは、子どもを産む立場にある女性であった。この制度では、男性が不誠実であっても、自分に対し愛情がなくても、女性の側から婚姻を解消する権利がなかったためである。

憲法のこの規定は、男女平等を目指すGHQの意向が強く働いている。(ウィキペディア)』

 今も変わっていないようでした。私の周りでは不可解なことがおこり、私が嫌がっても嫌がっても、でも本当はそうじゃなくってねとそれをひっくり返すように押し付けられようとしてきたあることのそれは、とても奇妙でおかしい。

 

 私がおぼれて死にかけたときに、その人は全く濡れていなかったことに気が付いたから(このイメージは最近読んだ本の影響を受けてもいるかもしれないけれど)、もしもそれとなく私の意志のように見せかけて、演出されようとしてきたそれを実行したいというのならば、おいしいカレーを適量食べるということではなく、私と信頼関係を築いた上でマカオのバンジージャンプを飛んで見せるくらいの事をしければ、等価交換ではないと思う。

 ライラの冒険の占いで、ダイモンはテントウムシだった事もぼんやりと思い出しました。