炭鉱の抜け穴

不可解なことの覚書 チラシの裏

バルサミックムーン トゲトゲ ささくれ 11

 2001年に被害に気が付いて、それから 『コーリング』のサイベルのすべてが止まった冬の世界の時ような期間が長いことあり、それでも、占星術的にどうなのだろうと興味があり、私にとって命綱になったような人達やオルフェウスのような人たちとのホロスコープを重ねたら、星同士の合が偶然とは思えない配置であることでした。

 2006年に、8室的なことで助けてほしかったのかなということについては、コーリングを読み返していたら「心(マインド)の体験というものは他人には計り知れぬものだ 人とは分かち合えぬ」「そのような力を持つ者さえ数少ない そのような者同士が出会うことはさらに少ない」と書かれてありました。書くのは難しい。「神との対話」では、質問に対して長い沈黙があり、「また、言葉をもてあそんでいらっしゃるんですね。」ということに対して答えて、「私は最善を尽くしているのだよ。おおきな制約がある言葉を使って、できるだけ近い概念、近い考えを伝えようとしているのだが、あなたがたの限られた語彙では説明しきれないし、あなた方の現在の概念のレベルでは理解できないことなのだ。わたしは、あなたがたの言葉を新しい方法で使って、新しい概念に導こうとしている。」

 そういうことがあるとして、私が体験したことにもそういう現象があったのだと思うけれど、証明のしようも説明も難しい。

 記憶が薄れないうちに思いつくままに。2001年頃にこだわるのは、私が大変だったというのは、その大変さはデュマレスト・サーガのシリーズ2冊目、『夢見る惑星フォルゴーン』に似ています。もしかしたら記憶にないくらい昔に読んでいたのかもしれないけれど、記憶にあるのは2001年以降に偶然気になって読んだので、内容は知らなかったと思います。(

おもしろいので、シリーズ通して読んでみたいのですけれど…。)デライという登場人物がテレパスなのですが、受けたくなくても大量の情報を無防備に受信してしまう状態というのが、うまく表現されていて、そうそうこんな感じと思った箇所がありました。さっきざっと読み返していて、どこか探せなかったのですけれど。そういう現象でした。

 2006年頃はどうだったかというと、沖縄に旅行に行く予定があり、参考に読んでみようと、『永久保交幽録 琉球ユタ はる』を読んでいたら、ユタとは沖縄の霊能者ですと、説明があり、『世界中の力のある霊能者の多くは生死の境をさまよう病気 ケガ 貧困 精神的葛藤 パニックなといわゆる「シャーマンの受難」と経験しています。沖縄ではこの「シャーマンの受難」を神倒れ(カミダーリー)と言います。」とあり、女の人が何かに取りつかれたように、うつろな感じで枝を振りながら歩いているのですが、それを見たすれ違いの人が「ああ、ダーリ―だね。」「うん、神ダーリ―だ」というように一般に根付いた言葉になっています。』と書かれていました。狂女王と揶揄されるような時が、私にとって、そのような状態の時だったのかなと思いました。でも、その状態でも、自分の意志や考えは失ってないから、いろいろ聞いてくれたらよかったなと思います。ユングの場合はこうだったけれど、あなたはどうですかと、いう具合に。イエスか、ノーぐらいなら意志表示できたと思います。それに私も訳が分からないから、すごく助かったと思います。『陰陽師』で、晴明がそういう感じになっていたとき、いろんなところとつながってしまって、なんだこのタコ足配線とつぶやくシーンがあったと思ったのですが、神ダーリーというのはそういう状態になっていて、通常の思考や生活で使われる脳の許容量を、もしかしたら別の場所かもしれないけれど超えてしまうのではないかと思いました。