炭鉱の抜け穴

不可解なことの覚書 チラシの裏

星占い

 しばらく占星術の本からは遠ざかっていたのだけれど、この前『しあわせ占星術』著者まついなつき 監修 松村 潔 を読んで、思い出したことがある。占星術の本は一時期熱心に読んで、シリーズで出版された日本語の物も結構集めたのだけれど、読むのも解釈するのも難しい点があるなと思う。子供の未熟なうちには、その年齢域に達せなければ見えてこないものもあるのだろうし、そうなのかなあと思いつつ影響を受けるし、まあ、しばらくしたら忘れてしまうのだけれど。思い出したのは、自分に該当する占断で、あまりよくない結果だったからかそうかなあと思いつつそうじゃないような気もするし、なんだか小骨が引っかかったような気がした別の本の影響からのことで、ただ事実を述べた良いも悪いもないそういう傾向があるというだけのことかもしれないけれど、それが何になるのと言われたような気がしたからかな。私、悪いことが書かれていても、納得がいった場合は、残念に思ったり、うらやましく思ったりしたけれど、別にああ、なるほどと腑に落ちた場合はだからといって何とも思わなくて。

 研究のための研究とか、お金儲けのためのお金儲けとか、買い物のための買い物をしやすい。という、だから何ということなんだけれど。否定的な解釈だからかな。何かの目的があって進んでいくのでないと無意味といわれたような。よっぽど好きじゃないとそのためにエネルギーを費やさないから、研究のために研究をして、結果よい成果が出たら奇跡的にハッピーなことだし、買い物のための買い物をして、お金儲けのためのお金儲けをして、ある日、いっぱいあることに気が付いてなんに使うか、その時有意義に使えたら、いいことだなと今は思う。それはまあ、見返りを求めてのプレゼントとか、別に目的があってのプロポーズとかでなく。プレゼントのためのプレゼントとかのほうがきれいな気がすると思うことがあったのもあるけれど。

 この本は星が擬人化されて、初心に返って占星術に触れることができて読みやすかったです。冥王星についての部分を読んでいて、「私が死んだ後も冥王星はゆっくり進む 同じ季節が同じ地上にめぐってくる 私一人が死んでも何も変わらないんだね冥王星」と書かれてありました。この前、石ノ森章太郎のマンガ日本の歴史(全55巻)の初めの3巻ぐらいまで読んだのもあり、冥王星の影響の強い人 死んだ後も残る作品と なんだか思い浮かんだのでした。