炭鉱の抜け穴

不可解なことの覚書 チラシの裏

2017/10/1 高野山

  翌朝です。5:50頃です。良い天気になりそうです。

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 この年の結縁灌頂は、土日に重なったためか、テレビでの放送があったためか大変な人出です。今日の内に帰る予定で、受付は8:00からですが、間に合うか心配です。ですが、あんまりミーハーが過ぎて目に余る様子に思われたのか、早朝から受付に行くのもためらわれます。6:30から朝の勤行があります。せっかく縁あって泊ることのできたお寺の朝の勤行と護摩祈禱に参加させていただきました。

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 朝食を終えて、8:00頃です。日が昇っています。

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 受付のされている大塔ではすでに長い列ができていました。

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 この日は午前8時より庭儀結縁灌頂三昧耶戒(ていぎけちえんかんんじょうさんまやかい)があります。『結縁灌頂に先立ち受者を代表して「乞戒師」が、大阿闍梨様より三昧耶戒を授かる儀式です。「仏さまのいのちと、私たちのいのちは本来一つである」という真言密教の根本を授かります。高野山の僧侶が大伽藍をお練りする姿は大変厳かな情景です。どなた様もご自由に参拝できますので、ぜひともこの尊い勝縁にお触れください。』

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 受付に並んでいた時、白い着物の僧侶らしき姿の人達が現れました。乞戒師でしょうか。お練りの最後の方のようです。ときどき昔の装束を身に着けた人が戻っていく姿を見かけます。並んでいた時に、クイズ番組でよく見かけるロザンの宇治原という人にとてもよく似た人を見かけたような気がするのですが、確証はありません。

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 お堂の中に入り、順番を待ちます。状況が聞こえてきて、まだ8:30頃ですが、ハラハラしながら待ちます。事前に調べていたとき、当日思いついても難なく受付でき、待つ時間も気にするほどではなくすんなり儀式が受けられているようでしたが、今年はどうも様子が違うようです。この日の入壇者数が、丁度、自分の一つか二つ前の組でいっぱいになってしまったようです。ですが、時間を延長するという話が流れてきて当日18:00からの組に入ることができました。しかしながら、この時間では乗り物の都合で明日までに帰ることができません。小心な私は、「どうする私」と逡巡するのですが、明日なんてわからないし、次がどうなるかもわからないと、結縁灌頂を受けさせていただくことにしました。8:50頃です。

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 熊谷寺です。

 さて、一旦心を決めてしまったところで、今日の宿泊所を探しに行きます。泊まる所があるだろうかと思っていたのですが、高野山宿坊協会で成福院の宿坊の予約をしていただけました。

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 ここで護摩祈禱が行われました。

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 もう一度、熊谷寺の本堂と護摩堂をお参りします。

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 高野山の総本山 金剛峯寺です。主殿の大広間があります。襖の群鶴図は江戸時代初期の斉藤等室の筆によるものだそうです。

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 新別殿へ。胎蔵界曼荼羅です。まだ新しそうなきれいな大きな曼荼羅です。

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 正面に弘法大師の絵が掲げられています。

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 金剛界曼荼羅です。

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 石崎光瑤作 襖絵『虹雉』特別公開されています。お茶とお菓子のお接待があります。のんびりしていたら、まだ若そうなお坊さんが現われて法話を聴かせていただくことができました。f:id:oborodukiyo22:20171001131313j:plain

 印象に残っているのは、阪神淡路大震災があった頃だったでしょうか、いろいろと大変な頃に、まだ学生で、高野山で学ぶことになって自分がやって行けるのかと思った時、経典の内容はだんだんわかっていくしいけるけれど、その場所で得られるものがあるというようなことを教えられ、実際かけがえのない絆や仲間が出来て、それから後も大変なことも乗り越えていくことができたというようなことを話されたことです。

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 蟠龍庭です。日本最大級の石庭です。『雲海の中で雌雄一対の龍が、奥殿を守っているように表現されている。』

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 上段の間 奥書院と拝観します。

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 私には前世の記憶もなければ、前前世の記憶もなければ、前前前世の記憶もないけれど、まあ、きっと碌でもないので思い出すのはまっぴらとどこかで、ブロックされているのかもしれないけれど。昔、ゲームセンターで、前世を調べるという機械があって、占ってみたことがあり、いくつかの結果があるのですが、特に信じたわけでもなかったけれど、最近は守護霊だか、背後霊に前世の人物がつく場合もあると知って、まったく見てられないなあとこういう事柄については昔取った杵柄とばかりに、手助けしている存在があるとすれば、案外的外れな結果でもなかったのかもしれないと思うことがあります。

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 台所です。

 はふりの神事について知りたくて、読んだ本の続きに『古神道《神降ろしの秘儀.》がレムリアとアトランティスの魂を蘇らせる時』があります。その中で、前世の記憶についてかかれた箇所があり、著者はかつて銀河系連邦司令部で新任の第三星系指令官であり、この本の中で、銀河系の平和維持部隊「区間内の星々を巡って愛と平和のレベルを監視し、それが足りない場合には宇宙船艦隊を派遣して愛を補っていくという任務を滞りなく果されていた」銀河系を四区画に分割した一つの第一星系指令官だった女性と出会い、「そんなど素人に任せられるか」という関わりのあった前世が判明するシーンがあります。

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 二石釜です。現在も使われていて、一度に二〇〇〇人分の御飯がたけるそうです。

 SFまがいの話の中で、出会った人たちは半信半疑だったり、確信を持っていたりします。「そうそう、ユウコさんが宇宙服のようなものを着て未開の惑星で愛のレベルを測定している姿を見たことがあるから、きっとそれがその頃のユウコさんだったのよ。」というセリフが記憶に残っていて、それで、もしかしたら、まだ生まれる前の世界と魂がつながったままで作られたように思われる音楽や歌を聴いていて、前世がそういう宇宙規模の平和維持部隊にかかわっていて、地球に転生してきたんだったら、おもしろいなあと思ったわけです。

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 『007 スカイフォール』にあったセリフのように、「準備はできているか」と尋ねられて、「生まれる前からできている」と答えたような感じで。それでもって、私の存在みたいなのが、それらの記憶のきっかけになったのなら、この年ぐらいの、前と後ろで、必要とする愛の種類のターニングポイントで、後からの人にとっては、あそこに和製アガサ・レーズンみたいな性質の人間がいるから、PRというか、拡大させていく場所みたいなのだったのかなとか。それぞれ使命があるとして。なんてねえ。

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  主殿です。屋根の上に天水桶があります。

 そうそう、『物理で語りつくすUFO・あの世・神様の世界』という本もあり、それにもUFOの話は出てくるのですが、もしも将来宇宙船の操縦士になりたいというような夢を持っている人がいれば、『伯家神道の祝之神事を授かった僕がなぜ ハトホルの秘儀inギザの大ピラミッド』によると、ロシアでのUFO研究に携わっている日本人女性から、聞いたところによると、UFOすべての部品はそれぞれ魂をもっていて有機的に結び付けながら組立なければならないそうです。ですので、操縦法というのが「操縦士は自分の気持ちをUFOすべての部品の気持ちと一つにすることで、それらの部品がたがいにうまく連携して操縦士の意図どおりに機体が機能するというのだ」そうです。それから、「宇宙人にあったとして僕も宇宙人がテレパシーで教えてくれることを受け取ることができるでしょうか?」と質問したときに「あなたは、そのあたりの草や木や虫、犬や猫あるいは鳥の気持ちがおわかりですか?」と聞かれ、「そんなもの、わかりませんし、だいたい興味もありません。僕が興味を持っているのは宇宙人と交流し、まだ我々地球人が知らない基本法則を教えてもらうという事だけです。」と答えると「そういう草木や動物たちの気持ちがわからないレベルで、宇宙人の気持ちがわかるとお考えですか?」と諭されたそうです。「すべてのものに、気持ちを合わせていかなければならない。そもそも、それが人間としての生きざまであり、宇宙人と交流できたりUFOに出会うことができる人間に求められる最小限の条件である。なるほど……、そのとおり。ぼくは心底そう思えたのだ。」これからの人で、そのような希望のある人は頑張ってください。「闇の生物や邪悪な目的を持つ者」や悪のエネルギーには気を付けて。

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 少し前、かなり前に出版された占星術の本を読み返していて、「冥王星がさそり座に入る1984年以降に生まれる人々が思春期を迎える頃からーーー。そしてこの時代に、偉大な思想家や超能力者が世界をその膝下にすることも考えられます。」ーーーの部分は割にあたっているような気もするのですが、さあどうなるのでしょうか。

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 大会堂です。

 ターニングポイントというのを、考えていた時、『第十一の予言 シャンバラの秘密』という本を読んでいたら、世代による学びの事が書かれていました。

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 霊宝館です。入口のお土産コーナーに玄奘様が取経の旅の途中で出会った深沙大将の立像のしおりがあります。とてもたくさんの仏像です。ほとけさまや如来の種類を学びつつ拝見します。

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 西の入口の大門です。

 シャンバラは、地球上にある現在の人類の進歩していくべきお手本になる世界のようです。『「伝説によると」ラマは続けた。「シャンバラでは、それぞれの世代に、誰もが知り、口にしているその世代特有の運命があるそうです。シャンバラの世界の外の人間社会でも、それは同じです。時には、自分の前の世代が示した勇気と意志に気が付くと、大きな力と確信を得ることができます。」』 

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  曇り空になってきました。

 本の後半に、『「世界中で、二十世紀の初めの数十年間に生まれた人々、第二次世界大戦世代と呼ばれている世代は、帝国を目指していた独裁者たちの脅威から民主主義と自由を守るために、勇気と科学技術を利用しました。彼らは科学技術の力を使って勝利し、その科学技術を全世界の経済へと拡大し続けました。そして次の世代、団塊の世代と呼ばれている人々が地上にやってきて、物質主義や科学技術のみに集中するのは良くないと、直感的に感じ始めました。環境汚染のひどさ、企業の政府への影響力の大きさ、秘密警察による監視の多さは問題だと、気づいたのです。

 こうした批判によって、新しい世代は力を持ち、私たちを直観によって導いてゆきました。彼らはやっと手に入れた物質主義や物質への憧れの中で育ち、人生にはそれよりももっと何かがあるはずだという考えに共鳴し、そう発言し始めました。人間の歴史の背後にはもっと詳しく理解されなければならない霊的な目的

がある、と考え始めたのです。 

 それこそが、西洋で60年代から70年代に生じたすべての動きの

背後にあったものです。物質主義的な社会的地位への反発、様々な宗教の探索、哲学の流行、人間性回復運動の隆盛などです。これらはみな、物質的な世界観では見えないものが人生にはもっとあるという、一連の洞察の結果でした」---「そして今、70年代後半から80年代にかけて、新しい世代が人間の文化をさらに前進させるために生まれてきています。」彼はタシを見た。「お前とお前たちの年齢層のグループは、この年代の最後のメンバーなのだよ。お前たちが、この世界に、何をもたらそうとしているのかわかるかな?」』

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  江戸時代の仏師康意・運長による金剛力士像です。 

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 私には、あれはなんだったのだろうと今は記憶が薄れつつある言葉にならないたぶん3次元的や物質的には認識できないのではないかと思うなんだかわけのわからないけど、でもものすごいことに遭遇したような、している時期があり、その存在は、現世的な善悪とかそういうのではなく、だけど、悪ではなく、その頃の私を外側からみてバカにしたり、見下したりするのは、仕方がないことだったのかもしれないけれど、その現象は決してそのように扱ってはならない、何かで、その大変な時期がいつだったのか、他の大変も交じって、断続的に続いていたから、断定はできないし、記憶もあやふやなのだけれど、2008年ぐらいが、自分にとってはもっともハードだったのかなと思われたりします。2018年の7月ぐらいに読んだ占星術の本で冥王星の解説の部分に「天秤座の中には、6.00~6.99、15.00~15.99など、危険な帯域があり、」という箇所があり、「対人関係による傷つけたり傷つけられたり」、という現象も現れるのかもしれないけれど、別の本で『占星術が教えてくれる相性のひみつ』では惑星のキーワードに、冥王星は「限界を超える 0か100 徹底的な 他」「「太陽系の外との扉」つまり「銀河の影響力」を持ちます。」等と書かれた箇所があり、6.00〜の度数に冥王星のある私は、それらの時期に否応なく星の影響が作用していたのかもしれないと思いました。同じ位置に星のある他の人にはどのように作用したのかも知りたいとも思うけれど。

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 その頃の事を、私はミレニアム版幻魔大戦と呼んでいるのですが、その相性の本を読んでいるときに、惑星同士が合になるとき、アスペクトをつくとき、その星の影響が、なだれ込んでくるとあり、公転周期の遅い天体の方が、早い天体よりも影響力があり、夫婦や、パートナーのホロスコープは、自分の第二のホロスコープと見ることができます云々と書かれていて、どういう関係かと問われると、説明しがたい関係だけれど、私がもうこのまま消えるのかなと思った時、セーフティネットになってくれたような人がいて、見えない手で、掴んでくれたような人たちがいて、何か見えない糸みたいなのがあるとしたら、この冥王星の影響が、流れ込んだのではないか、負担を軽減してくれたのか、助けてくれたのか、あるいは私が触媒となって冥王星の影響を受け取ったのかもしれないし、訳も分からず巻き込まれたのもあるかもしれないと思ったことがあります。もともと外惑星とパーソナル天体とのアスペクトが効いているホロスコープの持ち主のように思われますが、後から、星の配置を見て、偶然なのか、よくある事なのか、笑ってしまうようなそれにしてはあまりにも良くできているように思われる配置だったので、でもなんだか、もしそうなら、うわーそれはあまりにもお気の毒にとも思いました...。もしかしたら、それも青写真にあったことなのかもしれないけれど。

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 結縁灌頂の時間に合わせて、宿坊で早めに夕食の準備をしていただきました。こちらでもきれいでおいしい精進料理をいただきます。

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 列ができていて、並んで待ちます。

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 順番が来て建物に入ります。印と真言を授戒します。また少し進み、待ちます。ろうそくの明かりの中、受付の時に見かけなんとなく見覚えのある人たちと、これから仏様と御縁を結んでいただこうという思いを持っているためか、厳かだけれどもなんだかアットホームな空間にいる気がしました。

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 儀式に、目隠しをして、前の人の背中に印を結んだ指をつけて真言を唱えながら進みます。停止して、曼荼羅の上に指に挟んでいた葉を落します。無事、大日如来の上に落ちています。なぜ、無事かというと、自分だけ別の仏様のところに投花されら、と(それはそれでありがたいことですが)いかにもそういうことが起こりそうな気がしていたからで、でも、これなら大丈夫だとわかりました。

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 儀式を終えて、建物の外に出ます。月が出ていました。

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  前日探して、見つけられなかった三鈷の松の御守も思いがけずいただけて、うれしかったです。月明かりに照らされて、歩いていきます。