炭鉱の抜け穴

不可解なことの覚書 チラシの裏

バルサミックムーン トゲトゲ ささくれ 39

2015/08/24 (月)

それらのことは、日常で誰かに相談したり、わかってもらうには難しいことに思えたから、話していいことかもわからないし、でもとても大変だったから、信用できそうなオカルトや占星術詳しい人なら大袈裟にされるんじゃなくて、個人的に聞いてもらえたらと、なにかわかっているかもしれない。訳のわからない状況から助けてもらえるかもしれないとおもったのだと思います。濁流にのみ込まれて溺れている人よりは安全な場所にいて眺めている人の方がはるかに状況はよくわかると思います。

 

でも違った。わからないのは仕方がない。でもせめて大量にエネルギーを使うということを知っていたのならば、使いきって弱ってくたびれ果てていたときに、私がブラックな気持ちになるような事を繰り返したり、いじめて喜んでいた人達と一緒になって小突いてくるようなことはせめてしなければよかったと思う。

 

もしかしたら理解してもらえるかもしれない思った人が、却って逆の立場にいたみたい。

 

 

でも仕方がない。

 

この前の土曜日に図書館に行ったら、死後の世界を認めているお医者さんの本が置いてあって、答えは出すものではなく、出るものだ。時間がたって出ることと書かれていたので、きっとそういうことなんだと思う。

 

2015/08/25 (火)

水晶に込めたのは平和ではなく愛とかかれていました。愛ということで思い出したのは、百人一首の「おほけなく うき世の民に おほふかな わがたつ杣に 墨染めの袖」という歌や漫画の陰陽師に唐突に時間を超えて古代エジプトの場面が出てきて音楽と詩と香りの波動で肉体を治療した話、としかげの鳴らす楽器の音での魑魅魍魎の類いが嬉しそうに浄化されたのか消えていく話。不思議な話というか、宇宙人についてかかれた本に、地球に巡らされたグリッドやメンインブラックに滅びた星からの移住者の宇宙人が地球をまもるためのなにかの装置をくれてロケットにくっつけて飛ばし話。

 

2015/08/26 (水)

とても霊的攻撃、あるいは呪術の類いが酷かったとき、私はよく隈本あきらとう神霊能力者の本を読んでいました。

それでその時、人間は肉体があるからさまざまな霊が入ってかかってきて交流ができるという、著者はそのために大変な苦労や修行や格闘をするのですが、それは肉体という物質があるから可能なことだというのが印象に残っています。

 

死んでしまって、霊的に進歩して高いところにいくほど、厳格になり波長が会わないと交流できず学びあい霊的に向上していくことが難しくなっていくそうです。

 

それから、寿命や生死には、自分の魂にその人の生き方や想念が愛想をつかされたり嫌になったりして終わるということもあるということも意外だったのか印象に残っています。

 

2015/08/27 (木)

しばらくまえに、初心者向けの趣味の園芸をテレビでしていたので見ていたら、ひまわりの種の植える向きや深さの違いの発芽実験をしていました。たぶん蟻の巣の実験のように、透明の容器に入れて、映す側面は普段黒いもので覆っているのだと思います。私がすてた女という本があり、その事から生まれたミュージカルがあり、なにかがあっても、その頃私は自分とは結びつけて考えたことはなかったし、子供から少女になり娘になり、女になったり大人になったり、おばさんになったりするのかもしれないけれど、女と呼ぶにはあまりにも脆弱だったし、それらのことに対して、異性と言うことを意識したり、認識する対象ではなかったです。

 

種の実験のようなことを人間が今生きている人間に対してするべきではなかった。そのようなことをして、晒し者にするようなことはとても酷いことです。誰かのなにかの好奇心を満たすために、そんなことはいけないことだったと思う。遠藤周作がなくなる前、あまりいい死にかたではなくて大変だったのは、そういうことに関わって自分の魂に嫌気が差されたのかなと思ったことがあります。

 

 

あと百万回生きる、そうやって時間をかけて学習するんだという人には、神様もハードルはそんなにあげないのかもしれないけれど。