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炭鉱の抜け穴

不可解なことの覚書 チラシの裏

バルサミックムーン トゲトゲ ささくれ 30

 前に朝のラジオ番組で子供の教育相談に尾木ママが回答していて、それで愛情っていうのも器に一杯にならないといけないと言うようなことを話していました。

愛情という目に見えないものも、そういう目安があって。

 

まだラブラブショーなどか巷に流れていた頃、私はすごーく人を好きになってしまい、でもそれそうだと思っていた人は違っていたみたいで、でもオーラが金色になるくらい好きっていう気持ちが溢れていたことがあった。見えるのかっていったらその頃見えたことがあって、クリムトの絵の金色はオーラが見えたまま書いたのだとその頃知ったし、金色のオーラは小人のトランプのエース位なんだと思う。他にも

その頃に結婚した年にもらったハガキの二人の写真がゴールドに光って見えたことがある。ゴールドのオーラと言えばやはりその頃見た『ザ・ロイヤル・テネンバウムズ』の映画が上映されていて、登場人物のエキセントリックなお姉さんと久しぶりに再会したときにパーッと光輝いて見えたシーンを思い出す。

 

その頃のことは覚えているのに、記憶が飛んでしまっている頃も多い。

 

超常現象だけでなく、記憶の書き換えのような操作がされようとしたのではないかと思う。

 

 見えなくてもあるもの、においとか、雰囲気とか、気持ちとか。金色のオーラは揃ったら届く、通じるんじゃないかと思う。

よく読みにいくスピリチュアルなブログに「慶雲寺」の話で愛の波動に書かれていたことかあって「愛のオーラは魂にとってお手本になるオーラです。ここに行って、このオーラを浴びると、魂がこのお手本を覚えます」と書かれてあり、そういうのを知っていたら本物の見分けがつき、愛を乞う人になって操られずにすむのではないかと思う。まえに魔法使いの話のアメリカのドラマ『シークレット・サークル』を見ていたら、本当は良い人なのかもしれないと思わせながら、絶対悪として存在した登場人物が、最後の方で傷ついた子供は操りやすいと言う台詞が出てきた。私はその頃に聴いた音楽の中からそれらをもらってそれから愛情の器が満たされたのではないかと思う。「魂がそれを記憶」したかったのかもしれません。それで手首線も新しくできて。