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炭鉱の抜け穴

不可解なことの覚書 チラシの裏

バルサミックムーン トゲトゲ ささくれ 10

不可解な事 バルサミックムーン トゲトゲ ささくれ

 占星術的感想

 私がホロスコープを作るということをした最初の本は紫色の表紙の本で、色が好きだったからか、子供の頃に図書館で手に取りそれから自分でもだいぶ後になってから買って今もあり、いいことも悪いことも書いてある本だけど結構好きだ。それは自分が子供の時に自分ではコツがわかっているから何とか持てたけれど、子供が持つにはずいぶん大きすぎた荷物で、その星占いをしたときに、無音の世界で、そうか、やっぱりこれは大変なんだと、そのことを肯定してもらえたからかもしれない。普通に誰かに相談するにはあまりにも言葉がなかったし、そんな事は言ってはいけませんと言われるようなことかもしれなかったので。それからそうかなぁと怖く思うようなことも書いてあったけれど、ずっと覚えておけるわけではなく、誰にでも良いことが書かれている箇所があるからそちらをうれしく思ったようにおもう。バラバラに読んでいって、統合して読めたわけではないけれど。その本は何かの意図をもって操作するようなことが込められた本ではないと思うし、歴史を振り返っても、現実には戦争や飢饉や政変や災害や、生老病死があり、世界を星に反映させて読み解こうとした技術だとしたら、星にそれらのネガティブな事柄を表示させる記述がされていなければ意味をなさないだろうし、昔は一部の為政者や特殊な立場の人の使うもので、徳のある人があつかっていたのだとしたら、その本に書かれてあるようなことを読んでもそれらを占う相手に対象にあわせて、良い占いができたのではないかと思う。でも、その頃はまだ水星、冥王星の影響などが定義されてなくて、なみなみならぬ興味が感じられて、ノストラダムスや世紀末など終末予言があふれていて、それらがハイテク犯罪に人権侵害につながっていったとしたら、そのことは許されないことでした。それすらも運命だったのでしょうか。

 それからも、占星術本は何かわかるかなと20代の頃に集めて熱心に読んだことがあり、十代のころは毎月占い雑誌を買っていたこともあり、『エルフィン』という雑誌は好きで、休刊するまでの何冊かを今でも捨てずに持っています。

 龍が来ていた頃はいつかなと思い出そうとしていて、なんだか気配がするなと思っていて、もう大丈夫かなという感じで、胸のあたりを通っていったのだけれど、それはやはり2001年頃だったのかよく思い出せません。あの頃はとても波調が低くて、変な夢も見ていて、宇宙大戦争のような夢も見ていました。すごい勢いで庭に超巨大空母が激突してきたこともあって、その大きさと、庭のサイズが合うはずないのにそれはとても感覚的にリアルな夢でした。ここからはそこからの妄想というか連想、空想ですが、もしかしたらオリオン座の消滅ということも関連しているのかと思い、その頃地球の未来についても、このまま消滅させるか残すかで争われていたのではないかと思いました。『神との対話』(著者ニール・ドナルド・ヴォルシュ)に書かれてあるようなことに、環境問題に、本気で取り組まない限り、とても危険な状況にあるのに気が付かないままでいることはできないということなのだと思います。もしも私の存在がそれらの存在にとって人類を試す試金石みたいなもので、あのまま私が人知れず死んでしまったら、間接的にであっても善意や愛の玉のようなものをもっていてくれる人がいなくて私が消えることで、ほかの多数が救われる、お得である、というような考えに押しつぶされていたら、そのためには抹殺してもいいとう判断がされたら、地球の未来は変わっていたのかもしれないと思ったのでした。たぶん死んでないことで、何らかの執行猶予がされたのではないかと思ったのです。きっと誇大妄想ですね。でも物質というのが無限の距離にわたって相互作用があるのなら、たとえ小さく細くてもないとは言えませんよね。

 でも、どうでしょうね。この前ネットで『西太后紫禁城』のドラマを見ていたら、禁を破って撲殺されたかもしれない主人公の女官に対して、「どうしてお前を生かしておいたかわかるか」と問いかけ、「殺すよりも、生かしておく方が辛いからだ。」と答えていたので。私がこのまま命がもしかしたら尽きたのかなと思った時、ろうそくの火が消えていくという感じて確かに辛い感じではなかったです。

 私は龍の姿は見えないのですが、一度写真に姿を現してくれたのかと思うことがあります。夜、フェリーの上から灯りをつけた漁船を写したのですが、光の残像だけが残り、それが走る姿の麒麟の姿(と私には見えた)をしていました。龍は麒麟に姿を変えると何かで読んだ記憶があり、そう思ったわけです。今もいるのかなと思うと、存在を意識するとうれしそうにしている感じがあります。なので今もいるのだと思います。どうして私なんかのそばにずっといてくれるのかなと思っていたら、私のずっとは龍にとっては束の間なのだそうです。気にするなといっているようでした。もし龍が目的で、私をものにしようとしているのならば、その存在がなんであるのか私にはわかりませんが、そんなことをしても龍はその人のものにはならないと思います。たぶん龍から見える人になる必要があり、私が使役できるようなものではないのだと思います。それに龍もいろいろな存在のようですね。天使の本を読んでいた時に「天使は常に私たちを助けたいと望んでいます。しかし、スピリチュアルな法則があり、こちらから頼まない限り助けることはできません。」と書かれていました。天使の存在とはまた違うのかもしれませんが。そばにいてくださって助けてくださった龍がどういう龍かは私にはわかりません。