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炭鉱の抜け穴

不可解なことの覚書 チラシの裏

バルサミックムーン トゲトゲ ささくれ 8

 気持ちが落ち込むときに外に出て、晴れた日でお日様を浴びて猫を眺めると救われます。

 スピリチュアルなことに関して、そんなに日常生活で気楽な話題として話せるようなことではないし、ブログに書いている人も日常では出さないで生活している人も多い事柄なのではないかと思う。

 掲示板があって、思い切って聞いてみようかと思ったときはファンの人の運営しているネット上の場所であり、当たり障りのないことを書いてみたこともあったが、流れに飲み込まれてそのままになってしまった。それでもコンタクトをとれないかと、どういうシステムなのか私はわからないけれど、購入したものや私のプライベートについて漏れているらしいので、好意を示す手段としてそんなにカードに興味があるわけではないけれど、本を購入したり、その人に関係するらしいと思われる習い事(2006年1月からでした。)に通ったりした。本は最近ではどこにでもある防犯カメラの画像が関係しているのかと思い、プライベートに関しては手紙が盗み読みされていたのかと思っていた。

 ある程度親しくなって、プライベートでも話せるぐらいになれば聞いてもらえるかなと、それくらい切羽詰っていたのかな。

 私はその人にとってのうぬぼれ鏡になりたかったわけではない。習い事をしていた時は、まだまだ本当に体がしんどくて、大変だったけれど。それは後から習わなければ着ようとも思わなかったかもしれないけれど、役立つ機会もあり、後悔はしていないけれど。

 夢に出てきたときは、あんな風ではなくて、もっとまともだったのだけれどな。

 私はそんな事は望んでないから、やめてほしいと願うことを、どうしてわかるのかはわからないけれど、でも本当はそうじゃなくってねと、嫌な笑いをうかべながらひっくり返す感じで、見せかけだけ取り繕って。相手の人生を空虚にしてはいけませんよと、女性の人権からか、個人に適した私にとっての本当の福祉を考えてくれたのか。その人が敬意を払うに値する知性も教養も社会的地位も備えた女性が二人はいてくれて、それとなく的確なアドバイスをしてくださったのではないかと思われる事柄があったのは知っている。それからその人より若い女性の占星術師の人が、ドライアイスのようなDVの被害にもしかしたらあっていたのかもしれないと思った時期も。

 『シングルマザーズ』をいうNHKドラマがあった。DVについて。感情的に取り込まれていたら、私もまた麻痺しておかしくなっていくのでは。こういう問題が取り上げられたのはありがたいことだという感想も読んだ。結構真剣に、私の問題を見つけるのではなく、その問題に向き合ったほうがいいのではないかと思っていた。自覚がないまま、そういう未解決の問題があるのは危険ではないかと思ったから。憶測でしかないけれど、そう感じた。

 2008年10月の時は、それからも特に個人的にコンタクトが取れることもなく、本を購入してサインをもらう列にならんでいて名前を間違えて書かれたのはその時です。私はその頃本当に弱っていて、まいっていたから、そんな些細なことがきつかった。弱ってふくらんでじっとうずくまる傷ついた鳥みたいな状態だったときに、それからもどうも私にだけわかる他人にとっては些細な無関係でいられる大したことのないことでなぶるような言葉を間接的に読んでいて、それでもどうも私の事らしいとわかる聞きたくなくても耳をそばだててしまう悪口のように、読まなくていいのに読んでしまっていた。

 もしも話し合えていれば、こんなことは起こらないし、書く必要もないのかもしれない。