炭鉱の抜け穴

不可解なことの覚書 チラシの裏

バルサミックムーン トゲトゲ ささくれ 4

 魔法…。

 自分では魔法があるつもりでも、良い魔法を使うとしたら、チャペックの郵便局の小人のいうところのジャックでしかなかったものを、ハートのエースと思い込んでいた人では、本当のエースの人にはかなわないのかもしれない。「余裕があったほうが、本当は余裕のなかった方に負けている」ように。

 チャペックの郵便局の小人というのは、童話で『郵便屋さんの話』に出てきます。手紙を手札にしてトランプをしています。『「わたしたちのこの札は、手紙の中に書いてあることで、それぞれの強さがきまるんです」「いちばん弱い札は7ですが、これはうそをついたり、本当のことをかくしているてがみです」「次に弱い8は」「やむおえず書いたり、しぶしぶ送った手紙ですね。」「その上の9は、ただ、ていねいに書いただけの手紙です」「強い札になると、なにかおもしろいことや新しいことが書いてある手紙で、これが10です」「その上のジャックは」「相手を喜ばせようとして送った手紙です。」「仲の良い友だちどうしが書いた手紙は、それよりさらに強くてクイーンです」「もっと強いのはキングで、愛情をもって書かれた手紙がこれです。」「でも、一番強い札はエースですね。相手の為なら身も心も、すべてなげだしてもいいと思って書いた手紙で、これはどんな札より強いふだです、コルババさん。たとえば母親が自分の子供に書いた手紙がそうですが、自分自身より相手の方がもっと大切だと思って書いた手紙、それがこのエースになるのですよ。」』

 以前書いた手紙があるのですが、私何を書いたか忘れてしまうと思ってコピーを取っていて、渡したけれど、返事は来なくて、超常現象があった頃のその頃の事を比較的うまくまとめられたかと思ったので、一部ここに書き写します。

ツイッターを読んでいたら、狂女王というキーワードが出てきたのでそのことについて書かせてください。

 私は、自身は子供の頃、まったく霊現象はありませんでした。おかしなことが一番ひどかったのは2001年頃。それからもずっと今まであり、最近になってようやく体調が戻ってきました。オカルトについて、外側にいても、常識に縛られずに、少しは理解をおもちかと、なんとなく助けてもらえるかと思って、とあるHPをのぞいていた頃、ユングの超常現象には理解があっても、私では納得いかないのかもしれませんが、狂っていたわけではなく、幻魔大戦であり、岡野玲子の『陰陽師』の世界であり、私は「禹王の歩」のように、異空間に入り込んで、体が重くて仕方ありませんでした。あるいはアセンションをいう現象がおこっていたのかもしれません。龍も来ていました。私は見えませんが、気配です。しかしそういうのを女の子の部屋をのぞきをして観察するのは随分と悪趣味だったと思います。禍の部分は盗聴盗撮であり、波長が低くて低くて本来もっと清浄でなければならない空間が汚されてきました。福の部分は、私がそのことに自覚したとき、私に対してどうしても必要だった10年時差のあるロックミュージシャンの曲がなければ、私はそのままバラバラになって人知れずつめなくなっていまごろこの世には存在していないでしょう。正確にはその時の一番はじめは「くるり」の曲で、2001.9.11の時は「イエモン」で、2011.3.11の時はまた「斉藤和義」です。不思議ですね。特に熱心なロックファンというわけでもないのに、自覚なく選んで助けてもらってきました。』2012.4.11に書いています。

 この時に命を救ってくれた魔法があるとしたら、歌の中にトランプのエースに該当するものがあったからだと思います。

 魔法ということで、思うのは100年前の人から現在の日本を見たら魔法だらけの世界になっているのではないでしょうか。だから現在に住む人が霊能力がなくても念が強くなくてもそれは悲しむことではないのではないでしょうか。

f:id:oborodukiyo22:20140722074838j:plain

 この写真は今年遍路道を歩いているときに撮ったものです。ただ、私は昔ならこういう話を読んでも昔のことで不思議なおとぎ話と読んだと思いますが、自分の体験したことを通して、今では現実を記録したものだと信じます。

f:id:oborodukiyo22:20140722071334j:plain

 この写真は遍路道で通ったトンネルです。今まで何もなかったところにある日突然トンネルができていたら、それは魔法のようなことかもしれないけれど、毎日小学生が少しづつ運んだレンガを、職人さんが技術を競って積み重ねていってある日完成したら、それはきっと魔法が入っていると思うし、すごいことだと思う。そういうのではいけないのでしょうか。

 まだ、馬が日常で活躍していた頃のイギリスの獣医さんで近代医学も発達してきたころの話だったと思いますが、ある化学薬品で派手に煙が出るか何かで現象がおこって馬の治療をしていたのですが、「この方がありがたがられるからね」ということで実際の治療はそのことによって劇的に治療できるわけではないというようなことが書いてあった話を読んだことがあります。そこに真実があったとしてもパフォーマンスがあったほうがいいということもあるでしょうが。

 今年、高千穂に行く機会がありその時に『神道の本』を読んでいました。神をまつるには禊と斎戒が必要なこと。