炭鉱の抜け穴

不可解なことの覚書 チラシの裏

バルサミックムーン トゲトゲ ささくれ 3

 映画で、『さよなら レーニン』という映画を見たことがある。随分前に見た映画だったと思うけれど、今でも覚えているのはしみじみと良い映画だったのだろう。ベルリンの壁が崩壊したのを知らない母に、それまでの共産主義の世界を演出する。それは愛情が根底にあるのだけれど。

 そんなことが実現可能だと思う?あるいは人の記憶を自由に操作できると。

 ある人は、私のあまりの窮状を嘆いて、本当にそのような良い思い出ににすり替えて、記憶を残したいと思ってくれた人もいたよう。それについてはひどいことだとは思わない。ーーー簡単に見捨てて犠牲にしてなかったことにしなかったということだもの。ちょっと違うか。

 誕生日を別の人と見せかけて、占いが正しいように都合よく利用しないで。

 他人の作ったシナリオに乗っかって、『汗もかかず 恥もかかず』勇気も使わず都合のいい結果だけほしがって工作して付け焼刃で取り繕って本当みたいに見せかけて、私が四面楚歌で一人ぼっちだった時間が加害者の立場の人がいいことをしていたかのように見せかけて、他人のつじつま合わせの犠牲にする。いかさまハッピー物語の出来上がり。 押し付けは嫌だ。やらせとやらせとやらせむなしくないですか。私はそのことに気がついたとき、今まで素敵に見えていたものすべてが色あせていった。ふくらみすぎた他人の思惑の為だけでない、私にだって、何か本当が必要だ。 

 その人は現実では行動を起こさなかったかもしれないけれど、その人がある時、気になる使い方とタイミングで書いてあった魔法という言葉を見かけたことがある。それはその人自身が行ったのではないかもしれないし(たぶんそういう霊的能力や念が強いというタイプの人ではないと思う)、その人たちにしたら悪いこととは思ってないのかもしれないけれど、関わりがなかったとは言えない、使ってはいけない悪い魔法(呪いの類)が使われたのでないかということはある。それらの現象についてはいろいろあるので、この時の場合は2008年後半から、2009年前半にかけての見えない攻撃について。

 どうして悪い魔法と呼ぶかというと、その頃見た夢に出てきたのは、電子音のようなぴちゅぴちゅしゃべる日本語ではないような何を言っているかはわからない言葉で男性の声で、手を伸ばしてきて私を捕まえようとしてきた何かがいて逃げたのだけれど、陰陽師の人の本をしばらく前に(今年)よんでいて、「一体化した霊はどれだけの霊が集まったか、すぐにはわかりにくくなっています。なぜなら、最早、人とは言えない異形の姿になっているからです。時には溶けかかった蝋燭のように、ドロドロとした形状になって一体化していることもあります。しかしよくよく見ると、何体が集まっているのかということはわかりまうす。・・・」と書かれてあり、私が出会ったのはそういう姿をしていたので、何体かなど確認する余裕などはありませんでしたが、よくない術か、念がかけられていたのだろうと思われます。その時はそういう現象でした。その頃は2011前で、何かの異変をうつした波長みたいなものも影響しているのかもしれないけれど。すぐ前にだけ影響が出るわけではないと思う。「漫画家やミュージシャンは現代のシャーマン」だとしたら、『地平線を超えて』などを思い出します。