バルサミックムーン トゲトゲ ささくれ 61
今日は気になるほのめかしがあった。私に対してかも知れないし、そうじゃないのかも知れないけれど。(そのようなほのめかしがあった場合、私の周りには、そういう話が合ってもおかしくない人が沢山いるので)もしそうならそう噂された対象は私は本名も知らないし、連絡先も知りません。どのように見せ掛けようとしたのかされたのかしらないけれどそのような段階の人との結婚を考えられるほど私は酔狂ではありません。さっと風は吹かないし、月も輝かないし、世界の景色が変わったりもしません。もしそのような話が勝手に進んでいるのなら私は利用される気がするし、そうなのかもしれないけれど嫌です。ひどい扱いを受けてきて頭が悪いからだめだとほのめかされて、そういう対象だから、そのような話が出れば有り難がれ感謝されて当然だと思っていたのかもしれませんがそんなことはありません。
私を私ではない女性とすり替えて見せかけようとしたひと。勘違いでも訂正するべきこと。自分にとって都合のいい人格に思い込みそれ以外認めないひと。わたしでなくていいでしょう。
そのようなことを決意できるだけの行動や想いが私にたいしてあったことはありません。
お遍路 2015/11/9 四万十 真念庵
翌日の朝はどんよりとした空模様です。
道路沿いの遍路道は川沿いの上流の方へ進みます。
四万十川にかかる橋は何本かあり、迷いそうになりました。
思った以上に遡り、橋を渡り、折り返します。
遍路道の渡川大橋に着きました。
四国最長の川です。本流に大規模なダムが建設されてないので最後の清流と呼ばれているそうです。
川の土手を降りて支流沿いの遊歩道を進みます。
東屋がありお遍路さんらしき人も見かけます。
この辺りでは見はらしもよく、ひたすら海の近くまで川沿いに歩いていきます。
鴨が泳いでいました。
四万十川に降りられる階段があります。お遍路休憩所があったので休憩します。
広い川沿いの道を歩いていたとき、すれ違った女性の方に、随分と安全には気を付けてねと心配していただきました。
いままでのところ身に危険を感じるようなことはなかったのですが、気を引き締めます。
どうやら靴擦れが出来てきたようです。
曇り空ですが束の間雲ごしに太陽の輪郭が現れます。
大分河口まで来ました。中洲があり植物が繁っています。
川の上に昔ながらの造形のような建物があります。
道を折れて川沿いの道から方向転換です。
休憩所が見えてきたと思ったら、野鳥の資料館のような場所でした。
しばらくすると逆うちのお遍路さんとお会いしました。近くにお遍路さんの情報交換の場所になっている店を教えていただいたのですがお休みのようでした。数珠玉の草が生えています。小さい頃近所にも生えていた場所があったので懐かしいです。
大文字の山が見えてきました。
大文字山の送り火の案内板があります。町おこしか何かのイベントかと思ったら、そうではありませんでした。
500年ぐらい前に京都の戦乱 応仁の乱を避けて前関白が中村に下向し、その後先祖の精霊を送りみやびやかな京都に対する思慕の念から始めたと書かれていました。
途中、宿のチラシをもらうのですが、場所はどこら辺だろうと考えます。いくつか行き方があるようで、足摺岬辺りの遍路道は歩き遍路用の地図をみてもよくわかりません。頭を捻りつつ別の地図も眺めながら、どの辺りか見当を着けます。
山沿いの道になります。橋を渡るとき下を覗くと随分と深いようでした。
トンネルを通る前にお寺がありお参りをしました。
今大師堂です。弘法大師、不動尊、玉環喜伝坊が祀られています。玉環喜伝坊を今大師と称した由来が書かれています。
長い長いトンネルです。口をタオルで覆って通りました。
足に豆ノンストップの1.6キロ伊豆田トンネル抜けて南国
ひたすら歩き続け、ようやく通り抜けました。灯りもあり歩道があります。
トンネルを抜けると心なしか気温が高くなっているように感じ、違う場所に来たようです。
ここからすこし行くと真念庵です。
八十八ヶ所の37番岩本寺と38番金剛福寺との間が離れているので、中間あたりのお遍路さんの立ち寄る場所となったようです。
階段を登り山の中の道を進みます。
ブログなどの写真で眺めて想像していたのとはイメージが違う場所でした。
車道を回っていく道もあります。
なかなか着かないように感じたので 遠いのかと思っていたら、間もなく見えてきました。
お参りをします。
道に沿ってお地蔵さんがあり、階段をおり、民家のなかを抜けて印を頂きます。
テレビでお遍路さんの番組があり、訪れる人が多くなったそうです。
帰りは登ってきたところの近くにあるバス停まで、車道沿いに戻りました。
今回はここまでで、これからバスで中村まで戻ります。
バスを待つあいだ、あるきのお遍路さんを何人か見かけました。
四万十川沿いに着きました。
バスから歩きの時は見えなかった川の景色が見えます。
鉄道に乗り、時々歩き遍路沿いに通った所を早送りで巻き戻すように眺めながら椅子に座っています。
昨日、有井川駅におりたときに見えたピンク色の地面の場所はらっきょの花畑だったのかもしれません。
入野松原のパンフレットに開花時期とピンク色の花畑が載っていました。
鹿島が見えてきました。
今回、持って行っていた文庫本は『もう一つの日本史 闇の修験道 異端の古代史⑤』です。
線路の砂利で文字が書かれていました。
鉄道沿いにアンパンマンの仲間たちのようなキャラクターのラーメンの広告があります。
仁淀川です。神社仏閣に対してアニミズムのような感覚なのか、普段神社があっても祀られている神様について特に意識はしないです。ですが今回、入野松原で賀茂神社があり、この本に「雄略天皇の時代と葛城の賀茂氏の祀る一言主神」について書かれた箇所があり、土佐の賀茂神社の記録も紹介されていてそのためこの場所にあるのかと思いました。
本は、最近『陰陽師』の漫画を読み返していたので、安倍晴明とその時代と重なり、背景、登場人物についてよくわからないままに読んでいた部分で見えてきたことがありました。
地図を眺めたりしているうちに、段々と混んできて、高知駅に到着です。
帰路につきました。
お遍路 2015/11/8
翌日6:30頃です。
曇り空です。
出発します。
アンパンマンのイラストの列車が到着しました。
到着です。
一年後の秋の景色です。
駅から歩いて行く途中、海が見えて、海産物の料理が美味しいらしく、場所も区切りがいいと予約をしようとしたらできなかった宿を見かけて通りすぎます。スポーツだったか何かの大会と重なったようでした。
だんだん雲行きが怪しくなり、とうとう本格的に降り始めます。
雨は降らないつもりて来ていたので、持ってきた簡易なポンチョ型の雨具は脇の下が空いているので防ぎきれません。
駅の名前で知りとても不思議に思った「海の王迎(うみのおおむかえ)」の場所を通りすぎます。
坂を上っていき海沿いの喫茶店に入ります。早朝に食べたのですが、こちらでもモーニングを食べ、暫しあたたまり助かりました。
相変わらずの雨足でしたが再び出発です。
海の側を歩いていきます。カニがいました。
入野松原がもうすぐです。
この頃になるとまた雨がやみました。
公園の案内板の地図を眺め建物に入ります。
色々催しがされているようです。雨具を脱ぎ休憩して再び出発です。
入野松原に向かいます。
広場があり、海が見えます。
開けた空間で椅子がおいてあります。
お遍路さんと何人かこの頃にお会いました。
松原に入ります。
昔はどうだったのかなと考えます。
もっと鬱蒼としていて松原も広かったのでしょうか。それともこんな感じだったのか。
直線では道が見通せます。
折角なので海にさわろうと横にそれて砂浜を歩き鉛色の大きな海に近づきます。
様子をみて次の大波が来たときに手が浸せました。
海に人はいないと思っていたら、波乗りの大会がされていたようです。
進むにつれて順位を告げるアナウンスがきこえてきます。
途中から雨がふりだし、土砂降りです。
カッパは着ていても脱いでも同じかと思うような有り様になりました。
公園の駐車場のトイレで拭きます。
サーファーの人達も着替えをしているようでした。
Tシャツアート展なども開催されているようです。
名松百選 渚百選にも選ばれています。
16世紀ごろに防風林としてくろまつが植えられたそうです。
看板がありました。「5月から8月にかけてうみがめが上陸し産卵します。」とかかれています。
賀茂神社があります。
しばらくしてレストランがあり、雨宿りをかねてお昼を摂りました。
近くでパラグライダーもされているようでした。
晴れていたら景色がよく見えそうです。お風呂があったので入りたいと思いつつ出発です。
雨はやんだようでした。松原を抜けて再び遍路道をあるきます。
鉄道沿いの進路です。
そのうち晴れてきて午前中が嘘のような青空になりました。
蛎瀬川です。
川沿いに歩いていきます。
秋の水です。
中村に近づきます。
隙間から入った雨水で生乾きの部分があるままの服装です。
逢坂トンネルがあります。
広い道路沿いに歩いていきます。
温泉があり、やはり入りたいな入りにいこうかなと思いつつ、あと少しと歩き続け、四万十川に合流する後川(うしろ川)を渡ります。
宿に到着です。早い時間でしたが、受付けでお風呂に入れますよと教えていただき、とてもありがたかったです。
さっぱりして服の洗濯もします。
近くの産直市に行きました。色々ありますがトマトがならんでいて、とりあえずトマトは食べようと種類が豊富でしたか、買い、持ち歩いているフルーツナイフで切って食べました。護身用になるかと思い持っていたのですが、ここで活躍しました。今度は軽い器も持っていきたいと思いました。
お遍路 2015/11/7
早朝 5時頃の外の様子です。
前日高知市内で宿泊し、前回歩けなかった場所を歩き、真念庵まで行く予定です。
5時38分発の窪川行のJRに乗るため急ぎます。
車窓からの景色です。時間は早いですが、乗客はポツポツ乗っています。だんだん明るくなってきました。
土佐久礼に到着です。
そえみみず遍路道を歩こうと思っていたのですが、大雨で通行止めになっていると大きな荷物を背負っているのを見かけたためか、道で出会った方に教えていただき、大坂遍路道に変更して進みます。
大坂谷川沿いに進みます。
黒竹の案内がありました。笛に適しているそうです。
休憩していたら、お遍路さんを数名見かけました。夫婦のお遍路さんが前を歩かれていたのですが、道を確認したいようで、声をかけられます。
日本人のお遍路さんと思っていたのですが、英語で聞かれます。うまく答えられません。台湾から来られたそうです。近くに歩きお遍路さんの赤い矢印シールの貼られている電柱を見つけ、身振り手振りであっていると伝えます。
山道の車道を通って行きます。陸橋が見えてきました。
傍まで来ると四国一高い橋ですと書かれていました。
振り返ります。高知自動車道です。
天気は時雨です。
細い道に入っていきます。水がきれいです。
枯葉が積る道です。
七子峠へ向かいます。
地図によると「降雨の際は滝の流水で通行不能の場合がある。」と書かれていました。
この辺りかと思いながら進みます。
実がなっています。マムシ草でしょうか。
蟹が隠れています。
坂道を登って行きます。
七子峠到着です。
霧が出ています。
奥の柵のあたりが山道の入口です。 ここからは再び車道沿いに歩いていきます。それから再び遍路道を進みます。
手書きの案内があります。舟形石です。ここらあたりで般若心経を唱えながら歩きます。何度が覚えようと挑戦したのですが、すぐに抜けてしまいちっとも覚えられなかったのですが、ようやく覚えたようでした。いろいろあって覚えていたいことより忘れたいこと、つらくて壊れないように海馬が自己防衛のために縮こまったのかと思うような過去の事が抜けてしまったような時期もあり、ものすごく記憶力が衰えていたのかもしれないと思うこともありました。この頃少し前に本屋で『マンガと図説 般若心経をよむ』という本を見つけ、その本を読み終わってから覚えられたような気がするので、一応それなりに私なりに効果のあるお経として唱えてもいいですよという許可が出たのかもしれないとも思われました。
それでも繰り返し、読み直さないといけないのでしょう。この案内を読み感動します。
そのような知識があればいいのですが、私にはどれも同じような草に見えます。でも同じようにもったいないことだと思いながら通りました。
「あまんどさま」の案内があります。
遍路道の案内のシールを確認します。
黄葉が見えます。
お雪椿に着きました。今では樹齢400年に近いのでしょうか。
荷物を置いて一休みします。
狛犬と神社の前を進みます。
金明竹自然発生の地とあります。
再び休憩所を見かけます。
道の駅「あぐり窪川」到着です。お店を覗いたり明日の朝食になるようなものを探したりします。今日は岩本寺まで行く予定で時間に余裕があります。しばらくすごし、歩いたあと肌寒くなり、アイス日和ではないのですが、ご当地アイスの搾りたて生乳アイスとあれば食べずに行くことはできせん。お遍路さんにもお会いしました。
再び歩き出します。遍路道から逸れていたようで大回りして岩本寺に向かいます。この日はお祭りのようで縁日の屋台の続く通りを通って行きます。
迷いながらもお寺に到着しました。前回お参りしているのですが、この日もお参りしていきます。
本堂の天井です。
ツワブキが咲いています。
太子堂です。
本堂です。半紙に写経をしたものを納めます。
まだ15:00頃で早い時間だったのですが、旅館に到着です。荷物を降ろします。トイレに行く途中、準備中だったためか、まだ窓や戸を明け放してあり違う部屋を見ることができました。明治や昭和の初めごろのドラマで見るような趣のある和室でふすまなども見学してみたい感じです。お風呂と夕食で温まります。朝、出会った夫婦のお遍路さんと夕食の時にお会いしました。
旅館の入口に林芙美子の額が飾ってあります。少し言葉を交し説明を試みます。うまく説明できなかったのですが、 やさしそうな女性の方でした。
夜になると、宿泊客が多かったのか昼間見かけた部屋からは戻ってきた感じの陽気な声が聞こえてきました。
2016/12/07 (水) 19:34
「本当に嫌なんかもしれん」と笑いながら話ながら通っていった女学生たちがいた。ほのめかしだろうか。
どのように見せかけてきたのだろうか。
私はいま『結界師』という漫画を読んでいて、22巻に脳洗い部屋というのが出ていた。「強制的に記憶や人格を操作し、人間の中身を都合よくかきかえる」「あの娘の処遇は洗脳か、でなきゃ始末の二択なんだ」そういうことが私にもほどこされようとしていたことがある。そてそうなった状態で都合のよいようにできると思っていた存在を感じてこなかったわけでない。いやじゃないわけなどない。
心がねじられて押し潰されて痛め付けられていたとき、私は『西太后の紫禁城』のドラマをみていて随分と救われた。息がつけた。私はこういう番組を作れた国にきっと一生感謝すると思う。
お遍路 2014/7/22
翌日もよい天気です。
五時半です。
出発します。川を渡り歩き遍路の道に進みます。
朝靄の中歩いていきます。
地図を確認します。川と線路沿いの道です。
朝日が見えてきました。
老婆ユリが咲いています。
鬼百合も咲いています。
田園の中の見晴らしのいい道です。
来た道を振り返ると、朝日が山際から出ています。
朝の電車が走ってきました。
カワウソのレリーフの付いた橋を渡ります。日本カワウソは絶滅種指定されていますが昔は沢山この辺りにいたのかもしれないと通ります。
この日は、お昼頃まで歩いて、近くの駅から引き返す予定です。
熊井トンネルが見えてきました。
「明治38年(1905年)12月に工事が完成し、長さ90メートルあり、「トンネルというものは入口は大きいが出口は小さいものぢゃのう」といった人があるという。
レンガは佐賀港から一個一銭の運び賃で小学生などが1~2個ずつ運び、熊井側入口の石張は2人の職人が右と左に分かれ腕前を競ったと言われる。
昭和14年(1939年)までは剣道として利用され、現在はわずか土地の人の通行に利用されているのみである。
近代土木遺産に指定されてます。」
後ろは振り返らずに足早に通ります。
トンネルを抜けます。後ろが明るくて良かったです。
トンネルを出たところです。
線路沿いに進みます。
坂道に昔話の案内がありました。ほら貝と修験者のお話です。
カツオが見えてきました。佐賀町です。
佐賀漁港です。島が見えます。
鹿島が浦です。
この辺りで、何か気になるほのめかしを受けたのですが、なんといっているのかよくわかりませんでした。
鹿島です。特徴のある島です。
これを絵にうつしてみたしかすむ島佐賀山や都めかして八重さくら 安政5年?3月11日 防意軒半開 の句
日が上るにつれきて気温が上がってきます。
佐賀公園です。
展望台があります。
駐車場があります。
海岸沿いです。
景色がおもしろいです。
緑が勢いがあります。
今日は三連休明けの平日だったことを思い出します。
太平洋です。
大き目の石がゴロゴロしています。
波がおもしろいので長々眺めていました。
海沿いに歩いていくと、遠くにビニールハウスがみえてきました。
こんな炎天下で、こんな暑い場所で、いったい何が育つのだろうと思っていました。
近寄って中を覗いてみます。
人もいないし、何もなかったので、今は使ってないのかと思い離れます。
後から、バスの中でもらった『旅たび高知13』のフリーペーパーを読んでいたら、通ってきた場所の紹介が載っていました。
ビニールハウスでは天日塩を作っていたとわかりました。
きゅうりと一緒にいただいた塩もここで作られた塩だったのかもしれないと思いました。
草の丈が随分高いです。
大きな岩です。
海岸沿いに歩いていきます。柵の色が白ではなくこげ茶です。
大昔に流れた溶岩が冷えてそのまま固まったようにみえます。
海を眺めます。
硬そうな海岸です。
暑いです。
先ほどの岩近くまで歩いてきました。
大きな岩の天辺にある標識です。何の印なんでしょうか。
歩いていくと木陰があり一休みしました。
途中で小豆アイスを食べて休憩です。
伊田トンネルです。
蝶が飛んでいて写真を撮ろうとするのですが、木の上の方に飛んで行ってしまいます。
トンネルの中の道に違う種類の蝶がいました。アオスジアゲハです。
トンネルを抜けました。
有井川駅まできて今回はここまでです。
トイレがなかったので、近くの簡易郵便局でお借りしました。ありがとうございます。
カラスの羽が落ちていました。烏の羽は自分にとっての、進路、選択が合っている印と思っています。
海沿いの道で見かけた看板に、不思議な生物に見えるような絵と言葉が書かれていました。
私はそれをてんでんこと読んで、なにか地元の民話にでてくる妖怪の名前かなとおもったので、興味があり伺ってみると、知らないとのことで、それから郵便局の方がひらめいて、てんでいこう、それぞれで行こう、逃げようという津波の時の行動について描かれたものもとわかりました。
海は結構下に見える高い場所にあった看板でした。
駅は空中にある見晴台のようで景色がよく見えます。
時刻表が置いてあり、やなせたかしのイラストのキャラクターが表紙でした。
通ってきた道を眺めながら高知駅まで戻ります。
長い時間かけて歩いて来た道をあっという間に通り過ぎます。
先ほどの島が見えてきました。
土佐くろしお鉄道です。
すれ違う列車です。ジョン万次郎とジンベイザメの里 土佐清水市と書かれています。
海沿いから山沿いの道に進みます。
駅に高知線の歌が書かれていました。4番と五番です。昭和7に作られているようです。
生姜畑があります。
聞き覚えのある名前の駅を通り過ぎます。
次回の進路なども考えつつ過ごします。
蒲がはえています。
通った覚えのある川を渡ります。仁淀川。もうすぐ到着です。14時30過ぎです。時間が早かったので、古本屋さんに行くとほしかった昔の本が何冊かありました。今回はここまでです。