お遍路 2014/7/19
朝の6:30頃です。
雪蹊寺の様子です。
翌日のこの日は第34番 種間寺に向かいます。
鎌倉時代につくられた運慶晩年の作 本尊 薬師如来像などが、宝物館に安置されているそうです。
「長浜川の切り抜き」の案内があります。
春野町一帯の平野を灌漑し、水運の便宜をはかるため新川川の開削工事がされたとあります。
通称長浜川と呼ばれているそうです。
民家脇の排水路にカニがいました。
神社があります。
川を渡ります。
途中、川の景色が浮世絵の中のようでした。
小川に沿って歩いていきます。高知の偉人が多く出現した土地なのかと思いながら、田園の道を通っていきます。
歩きやすい遍路道です。ときどき猫を見かけます。
到着です。鐘楼の側に神社があり、階段を登って行きました。春日神社がありました。
鳥居です。 第34番 種間寺にお参りに行きます。
底の抜けた柄杓が子育観音像のまわりにたくさんありました。
創建は585年ごろで聖徳太子の父 用明天皇の時代です。「大阪四天王寺建立のため百済から来日した仏師たちが、帰国の途中暴風雨に遭遇。秋山の郷で難を逃れ、薬師如来を刻み本尾山に祀り海上の安全を祈った。後に、この地を訪れた弘報大師がその薬師如来を本尊として開創。『土佐 十六カ所寺参り』より」お参りの人が増えてきました。
弘法大師が唐から持ち帰った五穀(米麦粟きび豆)の種を蒔いたのが寺号の由来だそうです。
本堂です。
大師堂です。
こちらでも特別結縁の五色の御手綱があります。
大師様の五鈷に繋がっています。
安産にもご利益のあるお寺です。
沙羅双樹があります。
底の抜けた柄杓です。安産祈願の御礼参りに奉納する習わしです。
山門です。お参りを終えて次は清瀧寺に向かいます。
近くの電柱に、トンビが飛んで来ました。
葛の花が咲いています。道路沿いに歩いていきます。
神社近くの公園の木陰で一休みしました。
川と橋が見えます。
仁淀川です。こちらの道が遍路道のように思えたので歩いていきます。
川へ出ました。せっかくなので近くまで行き引き返します。
今度は橋を渡って向こう側へ着きました。なかなかの距離があります。
途中の水路で梅花藻が咲いています。
遠くから神社があるのかと眺めていた場所は、高岡町軍人墓地でした。
夏の田園の中を通って、山の近くまで進みます。ようやく山門に到着したと思ったら、それから長い斜面が続きます。自転車てお参りをされているかたが登っていくのを見送ります。
第35番 清瀧寺へ到着です。大師堂です。
写真は写した時間で並べているのですが、作法の順序通りお参りしています。
ツアーのお遍路さんがやってきます。ガイドさんの話が流れてきて、お参りのあと、薬師如来像の塔のなかに入ってみました。真っ暗で、思った以上に長いこと歩いたように感じます。
眺めが良いです。とても喉が乾いていたので、長いこと座って飲み物を飲んでいました。
階段の見える前あたりに休憩場所があります。
本堂です。
お参りします。
御神籤も引いています。
お参りのひとが行き交います。薬師如来像の戒檀巡りは厄よけのご利益を授かるそうです。
この階段の上に清瀧寺があります。
仁王門に竜の天井画があります。
明治33年に久保南窓の描いた龍はどこから眺めても目が合うそうです。
仁王門です。
振り返ります。723年に行基菩薩が開基し、弘仁年間に弘法大師が五穀豊穣を祈願して閼伽井権現と龍王権現を勧請し四国霊場に定められた寺です。
坂の入り口あたりに石柱門があります。 大師の弟子 平城天皇の第三皇子、高岳親王の逆修塔(生前に自ら建てる墓)があるからのようです。
来た道を戻り、次の36番青龍寺へ向かいます。
一休みします。猫がいました。悟りを開いているのかもしれません。
暑い長い道路沿いの遍路道です。波介川の近くで歩きお遍路さんと出会います。更に歩き続け、段々登り道です。途中、峠を越えるなら、見晴らしのいい場所があって座る場所も作ってあり、そこから次の場所がみれると、声をかけていただきます。
峠の入り口にあずまやがありました。ようやくの日陰と休憩です。
イチゴチョココーティングされたアンパンマンの兄弟のようなキャラクターがありました。
一休みして登り始めようとしたら、雨が降り始めました。カッパを着て、登り始めると止み、脱ぐとまた降り始め、来たり脱いだりを繰り返し漸く上っていきます。
展望場所の案内がありました。時間を気にしつつせっかくなので登ります。見晴らしがいいです。
展望場所は引き返すことになるので、案内の表示があった場所にリュックを置いてきたのですが、峠を越えて降り始めると、蝮注意の看板があちこちに。
もしかして、リュックに入っていたらどうしようという妄想が浮かびます。
日陰の山道で、地面も湿っています。日が暮れていく時間です。足早に進みます。お地蔵さんがあると飴をお供えしました。
山を降り終えます。安政地震の碑がありました。しばらくして海が見えてきて、海沿いの道を歩いていきます。
宇佐大橋の向こう第36番 青龍寺があります。お参りは明日です。橋の付近でバスの時刻を確認します。宿の方に電話をいただいて、車で迎えに来てくれるとのことだったのですが、歩いていくことにしました。
宿に到着です。長かったです。部屋は、女性向きの居心地のよい部屋でした。念のため、リュックをひっくり返し、中を確認します。蛇は入ってなくて一安心しました。
お遍路 2014/7/18 (31)〜37
今回は5日連続の日程です。
7時半頃です。
電車で山の麓まで行き、牧野植物園まで登っていきます。
文殊通りの駅から歩いていきます。
ふしぎな感じの木です。
ユリが咲いていました。
前回よりゆとりがあるので植物や景色を眺めながら歩いていきます。
今朝咲いたばかりのような花が沢山あります。
門を潜り抜け、前回の続きを歩いていきます。
竹林寺の山門です。
すぐ近くにある石段を通ります。
日陰は涼しいです。
海の近い下田川の横を歩いていきます。
川をはずれ山の近くに行くと道ができるのか、目線を上げるとブルドーザーなど通っていました。
32番 禅師峰寺へ向かいます。
「武市半平太 旧宅と墓」の看板を見ます。暑いです。
途中、お接待をしていただきました。ありがとうございました。
歩きお遍路さんには外国人も多いそうです。年賀ハガキをいただき、返信に歩き遍路の目標を書いたのですが、まだ実行できてないのが、心に引っ掛かっています。
しばらくして、小さい黄色いみたことがない蜻蛉が飛んでいて、写真を撮ろうと頑張っていたのですが、さらにしばらく行くと同じ種類のトンボがたくさん飛んでいました。キイトトンボのようです。場所は石土池です。
地図はみていたはずなのですが、トンネルを潜り抜け、道を間違えていたらしく民家の近くで出会ったかたに教えていただき、左斜め後方の山を目指し登っていきました。
暑いので影で猫がのびていました。
夏山です。坂を登って行きます。
山の上にあるお寺に到着です。
駐車場の休憩所で水分補給です。
本堂です。お参りをします。丁度十二時になったのを報せる音が響いて来ました。
大師堂です。
十一面観世音菩薩像が本尊です。
船舶の安全を願って建立されたそうです。
お参りをします。
こちらにも奇岩があり目が奪われます。
塩の干満岩があり、窪みにたまった水の水位が塩の干満によって変わるのだそうです。
見晴らしがいいです。
土佐湾が見えます。
「芭蕉の句碑「木がらしに岩吹き尖る杉間かな」は、本堂前の奇岩の間にある。」
坂を登り仁王門をくぐり、屏風岩が壁のようになった場所を通り、上に登ると本堂があります。
「 仁王門の金剛力士像は、鎌倉時代の仏師、定明の作で国指定重要文化財。」
不動明王が不思議な形の層になった巨大な岩の前に祀られています。
駐車場のある休憩所の方角です。仏像があります。
次は33番 雪蹊寺に向かいます。途中船にのって渡ります。
いつか通ったことのあるような民家の間を進み海の側の道まで行きました。こちらの浦戸大橋を歩いて渡って行く遍路道もあります。地図の道とは逸れていたようです。
土俵があるようです。
橋が見えます。反対方向に進み、種崎渡船場まで行きます。
お昼を食べるところを探したのですが、近くに無さそうだったため、初日に泊まったときに宿のプレゼントだったお菓子を日陰の椅子に座って食べました。
バスが到着します。熱気の中見送ります。海を眺めたり、船にのって遊びに行くらしい、成長期の男女の子供のグループが遊び半分刺激的な言葉を女の子が発しているのを聞いたりしていました。
乗船します。自転車に乗って向こうまで渡って行けるようでした。
もうすぐ到着です。
海をわたりまっすぐ進みます。雪渓寺へ到着です。この日はお接待でなにか振る舞われていたようなのですが、残念ながら時間が遅かったようで、終わっていたようです。
本堂です。お参りをします。
大師堂です。
境内の露店で地元産のジュースを買いました。この日の宿は、すぐ近くです。なので気楽です。宿の夕食は、途中で出会った方の予言通り鰹のたたきでした。新鮮なので、身の部分が鮮やかな赤色をしているのだそうです。
夕食の時に同席したご夫婦のお遍路さんは亡くなった身内の供養の為にお参りをすることにしたと伺いました。
部屋に戻ると写経らしきことをしてみました。
バルサミックムーン トゲトゲ ささくれ 57
タロットカードが得意でも、そのカードは、魚釣りの本をいくら読破しても、釣りはうまくならないということは教えてくれなかったんだろうなと思うことのあるそのひとは、私はその人を直接知るわけではないが、不特定多数がその気になれば知ることのできる言動から推測するに、昔聞いたことのある、奥さんが妊娠して、実家に帰って、出産して戻ると、家を飾り付けてニコニコしながら待っていて、奥さんがもう別れてほしいと言ったら、全然理解できなくてきょとんとしていたという男の人の話を思い出すことが時々ある。
私は本当だったら今頃この世に生きていないのだと思う。
そしてそのとき助けてくれたのはその人ではありません。
私は、その人がもしかしたおもいえがいていたそのような結婚式をしてもらう資格がないことを知っている。
そして私が望まない。
バルサミックムーン トゲトゲ ささくれ 56
2016/03/17 (木) 0:01
今月のムーを水木しげるの漫画の付録につられて買い読んでいたら、『日本からあわストーリーが始まります』という本が紹介されていて、そこに「本書は、阿波に残るそれらの史跡や伝承、人物伝に隠された古代阿波のからくりを探り、「(地球の)最期には神の栄光さえ知らない東の日出る島の人たちが地球を護るために歌(音楽)を携え神の栄光を伝えにやってくる」という聖書の予言が何を意味しているのか、という謎に迫ったもので、云々」とかかれた箇所があり、何だか面白いと思いました。
2016/03/18 (金) 7:52
なので、祝の神事のような現象は『「マグダラのマリアによる福音書」の解説のなかでは、ハトホルの秘儀はフリーメーソンが間違って解釈してきた男女の肉体的交歓を利用する神人一体の儀式ではなく、男性の魂を女性の魂に重ねるという純粋に魂のみの交歓でなくてはならないとあった。むろん、魂を肉体の外に解放することのできないレベルの男女てあれば、両者の魂を重ねるということはそのまま肉体を重ねるということになるわけで、フリーメーソンはそのレベルを狙っているのかもしれない。』結婚したからといっておこるわけではないが、しなかったからといっておこらないということではないのだろう。